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Lars and the Real Girl
俗に言う「引きこもり」の男がインターネットのアダルト・サイトで注文したダッチ・ワイフをガールフレンドにする、というすげーギャグだなと思っていたら、至極マジメな映画で驚かされました。
これをオカシイと思った兄夫婦は、ラーズをダグマー先生に診せに行くのですが、この先生の言うことが良かったね。つまり、こういう異常な行動を取る時、人は何かを訴えているのだ、と言うわけなのです。確かに、そうだよね。さっきも言ったように、ビアンカがいないときは、兄夫婦とディナーをするのもイヤだったラーズが、同僚のパーティに出て帰りにビアンカに「I'm happy」とか言うんだもん。自分の殻から抜け出したい、というサインなのではないだろうか。 ラーズが内気で他人と相容れないのは、彼を生んだことによって母親が死に、そのせいで父親が暗くなり、それがすごくイヤだった兄が家を出てしまい、幼いラーズは、自分を愛してくれない父親と2人きりで残されたことがトラウマになったためだと映画では示唆されているのですが、こういうトラウマは自分で乗り越えて行かなきゃならないんですよね。引きこもっちゃってる人とかって結局は、そのトラウマの中に引きこもっちゃってるというか。 町の人たちは事情を察してくれて、ダグマー先生の言うとおり、ラーズに調子を合わせて、ビアンカを本物の人間のように扱い、コミュニティに参加さしたりするのですが、そうこうしている内にみんなビアンカが好きになっていくというのは、結局みんな多かれ少なかれ引きこもってるというか、癒しとかコミュニケーションの媒体が必要なんじゃないかと思った。 で、もっと面白いのは、ビアンカが言うこととかビアンカの感情っていうのは全てラーズの創作なのだから、自分の理想のパーフェクトな女に出来そうなものなのに、ビアンカがコミュニティに受け入れられて行くに連れ、ラーズとビアンカがケンカし始めるんですよ!ラーズはビアンカに町の集まりに行って欲しくないと言うが、ビアンカを迎えに来たおばさんが、 「あんた、うちの旦那みたいだね!いいかげんにしな。ビアンカにはビアンカの人生ってもんがあるんだよ!」 って言うのが笑うんだけど、実際そうなのよね。 観てて思ったのですけど、ラーズの問題ってきっと、子供の頃に親に無償の愛を与えられなかった人の心の傷なんじゃないか。親にどっぷり愛されたという意識のある人は、他人にはそこまでの愛を求めないので、他人のホンのちょっとの気遣いや思いやりにも感謝できるのだけど、そうでない人は逆に、「そんな小さな気遣いや思いやりなんて愛じゃない」と突っぱねてしまう。要するに「無償の愛」以外は欲しくない、というオール・オア・ナッシング状態になり、それが叶えられないから引きこもる。 ラーズが「誰も俺のことなんかきにしちゃいない」っていうと、義姉が怒るシーンがある。町の人たちは、ラーズのためにバカバカしいと思いながらもビアンカを人間として扱ってあげているのに、なんつー言い草だと。本当にそうなんだよね。ラーズは大きな愛を求め過ぎていて、小さい思いやりに感謝できない人になっていたのだ。 だからラーズがビアンカを死んだことにしたのは、ラーズが求めるような愛は存在しないということを具現化したんじゃないかな。そしてラーズは、愛されたい愛されたいと子供のように思うことをやめ、自分が他人を愛せるようになろうとしていく、という。 うわ~なんかラーズって私みたいで怖い。私もこういう過程を経て今に至る、っていう意識があるのでとても他人事とは思えなかった。でも多かれ少なかれみんなこういう気持ちを抱えて生きてるんじゃないかと思うんだけど。 PS ちなみにラースじゃなくてラーズだと思う。メタリカの人と同じだよね? 映画 ラースと、その彼女 クレイグ・ギレスピー ライアン・ゴズリング エミリー・モーティマー ポール・シュナイダー ケリ・ガーナー パトリシア・クラークソン |
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そうそうメタリカの人と同じですよね!
苗字はウルリッヒじゃないのか(爆) 心温まる佳作…と評判はよかったのだけど なんかもっと踏み込んで欲しかったなぁと 観終わった後物足りず でした。 ちょっと寓話過ぎかな と。 プリシラさん、
そうですかね?結構現実的だなあと思ったけど。でも確かに、町の人がビアンカを受け入れているのが現実離れしてるか。でも、うちの近所のおばさんたちだったら、ああいう風にしてくれると思うよ。 このコメントは管理人のみ閲覧できます
やっと、書き込めるネタが~
そうですか…… チュチュさんにはそんな過去が…… それはさておき 私がこの映画で一番共感したのは『抱きしめられるのが苦手』という部分でした。 彼みたいに痛みはないけど、早く放して欲しいと思ってしまう。 一般的なコミュニケーションが誰にでも有効というわけじゃないってこと、かな? ビアンカをすんなり受け入れてくれる街の人たちは、世知辛い日本ではとってもファンタジーですが、みんながその人(ここではラース)のことを本当に好きならやってくれるかも。 彼の成長は嬉しくもあり、ちょっと寂しい気もしてしまったのでした。 同類だからかもしれないですね…… 名前の読み方は お兄ちゃんや町の人たちがどう発音してたか、全く記憶にないのですが、モンティ・パイソンのネタにあるようにスペルじゃ分かんないですからね~ ラーズ・ウルリッヒだけど、ラース・フォン・トリアーってのもあるし(ま、これも本当にラースかって言われたら分かんないし)。 メタリカのラーズも、本当にラーズかどうか分かんないですし。彼の母ちゃんが呼んでるのとかを聞かないことには… 北欧ってまた読み方が違うじゃないですか。 名前って、難しいですね。 読み方なんて大したことじゃねぇと思うけど、メチャクチャこだわる人もいるし。 まーちゃん、
何々、最近私の取り上げる映画はダメですか? 抱きしめられるのは、日本人は苦手なんじゃない?私もアメリカ来たばっかりの頃はすごいイヤだった。 映画の中ではラーズって呼んでませんでした? 私もまーちゃんに引き続き
そうなのか、そんな過去が…… 姫が恋愛と結婚についてレビュー通して言及するのに納得いったっていうか。 それはさておき、これ観ていない私がコメントするのは気が引けますが・・・・ 親に愛された記憶がない場合、 >「そんな小さな気遣いや思いやりなんて愛じゃない突っぱねてしまう。要するに「無償の愛」以外は欲しくない、というオール・オア・ナッシング状態になり、それが叶えられないから引きこもる」 というより、幼児期のある一定の時期に他者から無償の愛を得られた感覚がないと、愛自体が想像できない範疇にあり、愛されてることに気づかず引きこもるんじゃないですかね。 小さな思いやりも愛なんだ、と言うことも認識できず、愛自体を妄想する、というか。 だから、愛されることより愛することを始めないと、愛という感覚自体が掴めない。 ラーズがビアンカを死んだことにして、他者を愛することを始めたっていうラストなら希望が持てるハッピーエンドなのかしら。 何はともあれ、レビュー見てこの映画は観たいと思いました。 百さん、
そーですね。多分、私と百さんが言ってることって同じだと思うよ。 私は自分がそうだったんで、そう書いたんだけれども。でさー、自分では「わー、こんなんじゃヤバイじゃん」って思ったんだけど、こういう人意外に多いのよね。 うん、多いよ~、私もそうだし。
少なくとも、姫より長い人生生きてるが(笑)親の愛にトラウマ持っている人ばかり・・・・ ってか、誰しもそうじゃないかねー。 親の愛と自分の求める愛との差っていうかね、誰しもがあって当たり前なのかも、度合いの違いはあるけど。 百さん、
そうなんだよね。親だって人間だからさ、キャパってもんがあるし。私と私の母親はお互い「母親はこうあるべき」「娘はこうあるべき」ってずーっとやってて、結局お互い離れて行っちゃったよ。長年付き合ったけど、別れてみたら全然お互い分かり合ってなかったカップルみたいだ。 チュチュさま
いえいえ、そういうことではなく。 自分が観てない映画が多かったから、読ませていただいても書き込むところまでいかなかったんですよ;; 抱きしめられるのが苦手 は、ちょっと生ぬるい表現だったかな~ 『総毛立つ』というか…… 自分は結構人にぺたぺた触ったりするのに(ねぇねぇ、って呼ぶ時とか)どうも、苦手です。 この人は大丈夫!!って、しっかり分かればかなり大丈夫みたいですけど。 スティーブ・ハリスにハグされても、きっとオゾッてなると思います;; まぁ、チュチュさんや百さんの言うとおり、自分の求めるものなんて、人には分かりっこないってことは、理屈では解ってもちゃんと受け止めるのは難しいのかな~ |
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