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『Real Women Have Curves』-すごいリアルないい映画です
Real Women Have Curves

最近金がないんで、図書館でDVD借りてるんですけど、無料で借りられるもんで「思いっきりスベるかも」というような映画も大胆に借りられるようになりました。だから最近私が取り上げる映画ってメインストリ-ムから外れてますよね。でもおかげで思いも寄らなかったような佳作に出会えますよ。この映画も、『Real Women Have Curves(本当の女は曲線がある)』というタイトルが気になってはいたんですけど、エセ・フェミニズムの説教臭い映画だったらムカつくな~とか思って借りないでいたんですよ。でもタダじゃん!面白くなかったときのバック・アップも何本も借りられるじゃん!ってことで借りてきました。

Real Women Have Curves
Produced: 2002
Director: Patricia Cardoso
Writing Credits: Josefina Lopez, George LaVoo
Cast:
Joey Boca: Kevin Kline
Ana Garcia:America Ferrera
Carmen Garcia: Lupe Ontiveros
Estela Garcia: Ingrid Oliu
Mr. Guzman: George Lopez
Jimmy: Brian Sites
この映画はタイトルにもあるとおり、女優さんたちはみんなデブ、というと身も蓋もないんですが、現実的です。デブの女の子が主人公、とか謳って置きながら、主人公がリヴ・タイラーとか、そういう中途半端なことはせず、ほんとうにその辺のデブの女子高生拾ってきたかのような配役です。

でも、そんな子を「ね、太っててもきれいでしょ?」と説得しようと言う押し付けがましさは一切なく、「太ってても幸せになれるのよ」というような非現実的なシンデレラ・ストーリーもなく、あくまで現実的。

女の子の太り具合だけでなく、彼女の家族のありかた、どんな家に住んでいるか、父親の職業は、という描写がいちいちリアル。

私はアメリカの人間ドラマ系って時々すっごい違和感感じるんですよね。家族もんとかさ。白人家庭で、お父さんはシナリオ・ライター、お母さんは舞台女優とかいうアーティスト系の家庭とか、お父さんはコーポレートの重役で、おかあさんは弁護士で、買ったばっかりのようなBMWとか乗り回して、同じ階級の人たちのホーム・パーティに御呼ばれして、「あり得ねーよ!」みたいな。私の生活レベルではこういう人たち存在しないので、この人たちが結婚や家族のことで悩んでいても他人事って感じで。しかも奥さん役がニコマンとかジョリ姐とかだと、さらに現実味ないじゃん。っていうのはこの人たち、セレブになってマスコミに私生活露出し過ぎちゃってるんで、そっちのイメージがキャラのイメージを食っちゃうじゃない。

この映画では主人公のアナは高校3年生で、大学に行きたいのだけど、お母さんに反対されていて願書も出していない。お姉さんのエステスが細々とやっている裁縫工場を手伝わされる、高校生活最後の夏休み。

アナはメキシコ系の一世で、メキシコ人街の、平和そうではあるが雑然とした地域に住んでいて、ハリウッドにある高校まで、バスを2本乗り継いで行かなくてはならない。でもこのごみごみ窮屈な町、チェーン店が一軒もない目抜き通り、というのをすごい羨ましいと思った。

しかし、アナの家庭は、ものすごトラディショナルなメキシコ人家庭らしく、特にお母さんがすごい。つか、お母さんがすごいのがメキシコのトラディショナルな家庭らしいのだが(特典のインタヴューで、お父さん役の人が言ってたから本当なんだろう)。

まあ平たく言えば、アナのお母さんは、女は結婚して子供生んでなんぼ、勉強なんかできたってしょうがない。高校出たらエステスの裁縫工場を手伝って、家族を助けて、もっと言えば年とった母親を助けて、家族で仲良く暮らせればいいんだ、と考えているわけ。で、アナのこと「おでぶちゃん」と呼び、「男に好かれるようにやせろ!」なんて言うんだよ。

アナは、頭が良かったのでわざわざバスを乗り継いで行かなければならないようないい高校に入れて、先生に「お前は頭がいいんだから大学に行け」とまでいわれる子なんだから、この母親には真っ向から対決しているわけなんですが、アナvs.お母さん、というのが、そのままカルチャー的にも、女性問題的にも古い習慣vs.新しい考え、というののメタファーになっていて面白い。

それと、このお母さんは『イカとクジラ』のお父さんに匹敵する、いわゆる子離れできない親。子供の可能性を潰し、「デブ」「何もできない」などと呼ぶことによって自信喪失させ、自分から離れていかないようにする。また、「家族を捨てて行く」「親不幸だ」などと罪の意識を呼び起こさせることで子供を囲い込もうとする。

これは、私もアメリカに来るとき母親にやられたので、非常に共感しました。でも、私の周りにいる人、友達も何も、みんな母親の味方だったなあ。「お母さん寂しいだけなのよ」とか。私は全くそういう風には思わず、自分の可能性を潰そうとしている母親をマジ嫌いになった。本当に、誰よりも一番遠いところにいる人だなあ、と思った。でも普通の人は、「それでも親なんだし」と許せちゃうらしくて、それが出来ない自分を恥じたりもしましたが、私にはそういう気持ちは全くないということも同時に感じたり。

あと、アナはジミーという白人の男の子とデートし始めるんですけど、これもまたワタクシの持論である、「恋愛はパワーだ!」を象徴していました。ジミーはアナみたいなぽっちゃりタイプが好きみたいなのですけど、痩せてる女がいい女と刷り込まれてきたアナにはにわかに信じがたい。しかしデートして行くうちに心が通じ合い、ジミーとセックスすることに決める。自分でコンドームを買いに行き、「I'm ready」とキッパリ言っちゃうところが色気も何もないなとは思ったのですが、処女を失う、というのは母親に対する挑戦状なのだな、と思った。

アナの母親は処女性も強調していたんですよね。処女で、痩せてて、家事ができて、働き者の女が、なにがしか価値のある女。母親はアナを、そういうものに変えようとしている。でも処女は失うもの、「もうねーよ、ざまみろ!」って感じで、やっぱり女にとって性的に開放されるということが精神の開放で、恋愛というのは開放に突き進んでいくパワーを与えてくれるのだなと思いました。

それから面白いのはアナのお姉さんのエステス。彼女もデブで、多分母親からアナと同じように扱われてきたんだと思うんだけど、29歳で未婚。自分で裁縫工場を営んでいるんだけど、工場ったって10人以下の女性たちが本当にミシンで一枚一枚ドレスを縫っていくような零細企業。ブルーミング・デイルなどの高級デパートで600ドルで売るドレスを一枚18ドルで請け負い、100枚を期日までに仕上げないと金がもらえない、という、ほとんど搾取のような状態。

これをアナは堂々と「高級デパートの奴隷じゃないか。こんな生活はしたくない」という。でもエステスにはこれが唯一自分の持っているもの。アナは、デブでもメキシコ人でも女でも、まだ18歳。夢もあれば希望もある。でもエステスは29歳で、母親にコントロールされた通り家族とともにあることを決め、これから外界に出て行くことはないだろうと思っているはず。こういうビミョーなキャラを置いたことによって、革新的なアナがんばれ!みたいなアナ一辺倒の話にしなかったところも、映画的にすごく上手いと思いました。

最後、アナはコロンビア大学に行き、ニューヨークの街を颯爽と歩いていくところで終わるのですが、女性は精神が開放されてからの方が大変なんだよな~と思いながらも、素直に「がんばれ」とエールを送りたくなるような映画でした。

key Word
映画 女性解放 フェミニズム アメリカ・フェレーラ
いい映画 | コメント(0) | 【2008/08/10 21:51】
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