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『ニューヨーク・ドールズ:Too Much Too Soon』-ドールズってどんなバンドだったん?【伝記】
New York Dolls: Too Much Too Soon

ニューヨーク・ドールズがロンドンに来たとき・・・爆弾が落ちたような衝撃だった」とボブ・ゲルドフが映画『ニューヨーク・ドール』で語っていたように、ドールズは当時のシーンに物凄い影響を与え、それが今でも脈々と続いている。80年代のヘア・メタルも、セックス・ピストルズも、エアロスミスも、キッスも、ニューヨーク・ドールズが先にあったということがわかれば納得してしまうんである。

The New York Dolls: Too Much Too Soon
The New York Dolls: Too Much Too Soon
Nina Antonia
(2005/11/15)
Omnibus Pr

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そんなすげえバンドでありながら、アルバム2枚で消えてしまったため、今やドールズのことを知るには・・・・伝記だな、と購入したのがこの『Too Much Too Soon』なんだが、いやー、面白かったよ。

まずへぇぇ~と思ったのはシルヴェインはエジプトからの移民なんだって。小さい頃に両親に連れられてフランス経由でアメリカに来て、中学校の頃まで英語もしゃべれず、そんなときに学校で知り合ったのがオリジナル・ドラマーのビリー・マルシア。ビリーはコロンビアからの移民で、2人が並んでブロークン・イングリッシュでしゃべっていると「まるでジプシーの兄弟のようだったに違いない」と著者(ニーナ・アントニア)が書いている。デヴィッドJoがノルウェイとアイリッシュの混血、ジョニサンがイタリア人、そしてシルヴェインがエジプト人と、フロントの3人が物凄いエキゾチックなことを考えると、金髪で長身の、いわゆるフツーのアメリカ人であるベースのアーサーが至極かすんで見えるのも頷けるな。

そして、あのドールズのぶっ飛びファッションの源になったのが、このビリーとシルヴェインが組んで創設したファッション・ブランド。2人はビリーのおねえさんたちを巻き込んでおサイケなセーターをデザイン、製作して売っていたそうだ。ニューヨークでロンドン・ブーツを最初に履き出したのはドールズなんだって。なんたって、その手の商売をやっているビリーのねーちゃんが、どこで買えばいいか知っているってんだから。

後にドールズに絡んでくるマルコム・マクラレンも、当時ロンドンでブティックかなんか持っていたようで、その辺の絡みでシルヴェインと知り合ったようだ。

モトリー・クルーポイズン、もっと言えば「かまかまかまかまおかまのボーイ・ジョォジ~」のカルチャー・クラブ、そして私の愛する女王様・ピート・バーンズのデッド・オア・アライヴ、そして、ドールズのシルヴェインからその名を取ったというデヴィッド・シルヴィアン率いるジャパン、などなどの洗礼を受けてしまった私達が、2006年の今ドールズを見ても、そのファッションになんら主張を感じないと思うけど、その当時のバック・グランドを知ると、いかにアレがすごいことだったのかがわかる。

70年代初頭のニューヨークのティーン達は、日曜日にドレス・アップしてセントラル・パークのとある噴水の周りにたむろするのが流行で、それが「ピース」とか言いながらすぐ裸になってしまう60年代のヒッピーに対する回答だったようである。そんな中でジョニー・サンダースは、むちゃくちゃかっこいい服を着ていてみんなから注目されていた。「あとでわかったことなんだけど、ジョニーは女物の服を買って、おねえさんに直してもらって着ていたんだって。おれはジョニーの着ていたベルベットのスーツが超かっこいいんでニューヨーク中探し回ったけど、見つからないはずだよ」とアーサーがインタヴューで語っているが、そういうアーサーも、高校で最初にベルボトム・ジーンズを履いてきた注目のファッション野郎だったそうである。

そんなお洒落な男の子達がライブ・ハウスや、アート・スクールや、セントラル・パークなんかで出逢い、ニューヨーク・ドールズというバンドが形になって行くのだが、そこへ「女装」というテイストを注入したのがデイヴィッド・ジョハンソンである。前に「こいつはロックじゃない!」と書いたことがあるけど(こちらの記事で)、デヴィッドJoは確かに少し毛色が違くて、ロック・シーンというよりは、アーティスト達の中で生活しており、を読み、博学で、洞察力に富んだ詩をノートいっぱいに書きつけ、「世界で最初の、豊胸手術をしたロック・スターになる」とか言ってしまうようなガキだった。

しかし当時、女装をしないまでも女の服を着て歩くというのは物凄いタブーだったそうだ。まだゲイ・レズビアン・ムーヴメントが活発になる以前の話で、もしゲイの男が道端でリンチにあっても、誰もなんとも思わない時代だったらしい(この辺は『ブロークバック・マウンテン』を観ると良くわかるよな)。

そんな中でドールズは、アート系のクラブで定期的に演奏し、お客さんもドラッグ・クイーンやぶっ飛びファッション系の若者が大半で、デヴィッド・ボウイがドールズを見るためだけにニューヨークに来たり、アンディ・ウォーホールがパーティには必ずドールズのメンバーを伴って現れたりと、そちら関係ではもんのすごい盛り上がっていた。

(一番笑ったのは、ボウイがデヴィッドJoとニューヨークで過ごした夜の逸話。危ない一画の赤信号で止まったトラックの、気性の荒そうな運ちゃんがデヴィッドJoに「ヘイ、ベイべー、お○○こ舐めさせろ」と絡んできたら、デヴィッドJoが、「悪いけど、ちんちんしゃぶってもらうことになるぜ、マザ・ファッカー、トラックから降りてきな!」とやり合っている脇で、ボウイがブルブル震えながら「やめて、デヴィッド、やめてよ」と止めたという逸話。後にボウイは『Watch That Man』という曲の中で「I was shaking like a leaf / For I didn't understand their conversation(私は木の葉のように震えていた/彼らの会話が理解できなくて)」と、この時の恐怖を歌っているらしい!ぎゃははははは!)

しかし普通の音楽業界ではキワモノ扱いで、それでなくともバンドのイメージが反社会的なため、契約しようというプロダクションやレコード会社はほとんどなかった。極め付けがビリー・マルシアがヨーロッパツアー中にオーバードーズで死んでしまったことで、それまで「女のカッコをしたキワモノ」というイメージにさらに「ヤク中」という暗いイメージまで背負い込み、さらにメジャー・デヴューから遠のいてしまう。

しかし、ジェリー・ノーランを新ドラマーに向かえてデヴューした後は、ロック・マガジンの読者投票一位のバンドになったり、デヴィッドJoとガール・フレンドのシリンダの生活がティーン・マガジンに載ったり(デヴィッドJoとシリンダがニューヨークでお買い物!とか、二人の家族とセントラル・パークでバーベキュー!とか)相当な人気者だったらしい。

その頃、同じシーンで活動していたキッスは、カウボーイのカッコをしたマッチョなバンドで、ドールズを見てからロンブー履いてメイクアップをし始めたそうだ。ドールズの前座をしていたこのバンドが後にメジャーになれたのは「動物とかのメイクで、ドールズの退廃的でケバいイメージを払拭し、マンガに徹したため」と、ドールズのファンだった著者は皮肉たっぷりである。

同じ頃ボストンで活動していたエアロスミスとドールズは、同じプロダクションと契約し、同じマネジメントの下で統括されていた。まるで二つのバンドを比べて、上手く波に乗った方をキープしようという感じだったそうだ。(他の記事で読んだところでは、マネジメントがエアロのステージ・アクションに磨きをかけるために、ドールズのショウを観に行かせたらしい。スティーヴン・タイラーの、髪をくしゃくしゃにするしぐさとか、しゃがんでから立ち上がるアクションとか、スカーフでおしりをふきふきしたりするのは、明らかにデヴィッドJoのパクリ)

結果的にはエアロスミスがジリジリと売れ始めてきた頃、マネジメントがライバルとなるドールズが邪魔で、ドールズをホール級の会場をツアーするバンドから、クラブ・サーキットのドサ廻りに格下げしたのが始まりで、マネジメントと決裂、マルコム・マクラレンと組んでコミュニストのイメージで売り出したのが、まだヴェトナムが現実であった当時のアメリカでは究極の拒絶反応を引き起こし、ドールズは闇に葬られて行くのである。

ドールズで失敗したマルコム・マクラレンは、同じようなコンセプトのバッドボーイ・バンド、セックス・ピストルズをロンドンでプロデュースしようと、シルヴェインに声をかけるが、シルヴェインはドールズの残骸と共に日ツアーする方を選び、シルヴェインのクリーム色のレス・ポールだけがロンドンに渡り、後のセックス・ピストルズのギタリスト、スティーヴ・ジョーンズによってプレイされるのである。

ドールズは確かに運のないバンドで、マネジメントやレコード会社にいいように扱われてしまったのだが、ドールズ自身も既にドラッグや酒でかなりひどい状況で、ライブのセットも新曲がないためほとんど変わらないし、2枚目のアルバムは、1枚目に入らなかった曲がほとんどで、バンドに常に進化していくという底力がなかったような印象を受けた。2枚目がコケた以降も、プロダクションに捨てられたあとも、メンバーがドラッグや酒におぼれず前向きにバンドを立て直そうと思えば、なんとかなったのかもしれないが、そんな風にがんばろうとしたのはシルヴェインだけだったようだ。

その後は当に、当に悲惨で、読んでいるのが辛かったが、もう少し色々知って、落ち着いて彼らのその後を語れるようになるまでは、その辺のことは書かないでおこう。今、読み始めたもう一つのドールズの伝記は、さらに詳しい時代考証に基づいているようだし、哀しい話に触れるのはそれを読んでからでも良かろう。

■一番新しいドールズのバイオは、2006年に発売された『Trash!: Complete New York Dolls
■ストーンズのコンサートを観に来ていた、まだシロウトの頃のジョニサンが観れる、『ギミー・シェルター
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Key Words  ニューヨーク・ドールズ ロック 伝記 デヴィッド・ヨハンソン ジョニー・サンダース シルヴェイン ビリー・マルシア ジェリー・ノーラン
気になるアーティスト | コメント(0) | 【2006/09/10 08:05】
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