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『ドット・コム・ラヴァーズ』-恋愛で成長しよう!
Dot Com Lovers

アタシもアメリカでマッチ.com やってたのですっごい読みたかったのですが、この間地元の古本屋で99¢で売ってました!やっぱり縁があったのかな~。

ドット・コム・ラヴァーズ―ネットで出会うアメリカの女と男 (中公新書)
book on amazon.com
Issued: 2008
Written by: Mari Yoshihara
やっぱ、出会い系で最大限の恩恵を受けるには、「ダメで元々。ちょっと会ってみようかな」っていうスタンスじゃないとダメよね。てゆーかさあ、やっぱ男が見つからない人って、頭でごちょごちょ考え過ぎなんだろうなって思った。

アタシと吉原さんは似ているみたいで、まずプロフィールは自分と言う人間をきっちり表現し、ここで誤解のないようにして置く。でも、気になる人が見つかったら、余り深く考えずにコンタクトして、余り深く考えずに会って、結構そんときのノリで行っちゃう。

吉原さんは、こっちが「うわーこの人いい!」とか盛り上がっているのに相手はイマイチ熱くなってない、ってのをレポート調の文面で淡々と書いていて、飄々として気にしてないみたいに聞こえるけど、本当はすごいショックだったと思うよ。メイル送った相手から返事来ないとか、1回デートした相手が連絡してこないとか、結構がっくーんと来るんだよね。「ああ私ってやっぱ魅力ないのかしら。ネットでさえ男見つからないの?」とか(笑)

そこが「書く」ってことの魔力で、こうして人様に読んでもらおうと思って書くと、実際に自分に起こったことを第三者的に見られて、悲劇だったものがユーモアのあるものに見えてきちゃう。吉原さんも、カルチャーやなんかの研究者であるから自分の体験をそういう風に見て「これは書いたら面白い」って思ったのと、自分の体験を昇華させるといった2重のメリットがあるからこれ書いたんだと思う。

しかしこの人はタフな人だよ。恋愛して、振って振られて、わんわん泣いて、立ち直って、またトライしてって。アタシもかなり怖いもの知らずだけど、こんなによく受け皿があるなあと思う。あ!あと、元彼とは友達でいるって言うのはアタシにはできなくて、吉原さんはみんな友達としてキープしているらしいんだけど、やっぱりそれって複雑な心境らし。いくら恋心が冷めていても、今自分には好きな人がいても、昔付き合ってた男が燃えるような恋愛をしていたり、結婚したり、子供ができたりするとすごい複雑な心境なんだと。全く同感。だから私は、別れたら一切連絡取らない。

それにアタシのケースは吉原さんと違ってだめんず遍歴みたいなもんだから、あきれ返って別れることが多かったので、別れた後に連絡されても、「今頃遅いわよ!」としか言い様がないし。

アタシがオンライン・デーティングをしてて感じたのは、みんな相手を探している割には慎重なんだよね~。やっぱり年齢的にも離婚したり色々しているので、真剣になってキズつけられるのが怖いというか、カジュアルな付き合いにして置く、って言うのが多い。で、アタシ的には、こっちはかなりその気になってもう一段階進めたいのに向こうがグズグズしているからイライラしちゃって、こっちが「あーもう面倒くさい!」って振る。すると半年位して「君のことはすごく好きだった」とかってメイルが来るパターンが多いんだけど、これってさ~、バーチャルな環境ではこうやってロマンティックになれるけど、面と向かって、生身の人間同士になるとできないのかな、って思った。実際に会っているときは、面倒くせーなーとか、この女たいしたことねーなーとか、縛られたくないなーとか思っているくせに、会えなくなると頭の中でアタシのこともアタシたちの関係も美化して、「忘れられない」とか言うくせに、いざ会うとまたそっけない感じなの。恋愛する能力ない人って意外に多いなあって感じたわ。

今の彼氏もマッチで見つけたんだけど、今回はだめんずではなく、もう一年以上も続いているんだけど、吉原さんもすごい気が合う人が出てきたのに、結局別れてしまい、なんかそれを読んだら「うーん」って考えさせられたね~。

やっぱりこの年になってくると、余りに色々な経験を積んでいるので、若いときみたいに、「この人なんだわ!」みたいに思えない、そう思って今まで何人の男と別れてきたのよ!とか思っちゃう。吉原さんのケースは、お互い大学教授で、仕事があるところに引っ越していくのは当たり前、吉原さんも苦労してテニュアを取った大学を辞めて彼についていくわけには行かないし、彼はやっと教授として勤められる大学の仕事をあきらめてハワイに残るわけには行かない、という「大人の事情」で別れちゃう。

恋愛ってすごく不安定なものだから、大人になるとプライオリティが下がる。とにかく喰っていくために仕事がなくちゃ、お金がなくちゃ。でも男はいてもいなくてもどうにかなる。恋愛すれば楽しいけど、他に楽しいことはわんさとある、とか思っちゃうとさ~。

でもアレなんですよ、恋愛って、あえて積極的にするものだと思う。最初に「男が見つからない女は頭でごちゃごちゃ考え過ぎ」って言ったけど、上手く行くかな、幸せになれるかな、結婚できるかな、とか思っちゃダメなのよ。恋愛っていうのは自分を成長させるもので、時間の無駄って事はないし、しないよりはした方がいい。

かと言ってキズ付かないとかがっかりしないって言ってるわけじゃないのよ。なんかあっさり「なーんだこれ」ってなるかもしれないし、すっごい辛い別れになるかもしれない。でもさー、もう恋愛と失望とか苦労ってカップリングだって思って、受け入れるしかないのよ。おいしいとこ取りはあり得ない、楽あれば苦あり!そう思うと気楽になるし、かつがんばれるわ。

この本の最後の章が『大人になるということ』というタイトルだったので、きっと吉原さんもそういう心がけなんだろうなと思った。一緒に飲みに行きたいな~こういう人!

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気になる本・雑誌 | コメント(2) | 【2011/02/06 07:17】
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『スキニービッチ』-正論は実践が難しい!
Skinny Bitch

いや~、『スキニー・ビッチ』とはなんともクレバーなタイトルを付けたもんですね。何もしなくてもスリムな女性はそれだけでも憎たらしいもんだけど、努力して痩せてる女もムカつくんだよね~!!しかもそれが、悪いとわかっていながら止められない食べ物を食べないとか、しなくちゃな~と思いながら出来ない運動をしていたりとかしていると、こっちのコンプレックスを刺激して、余計ムカつく!

スキニービッチ 世界最新最強!オーガニックダイエット
book on amazon.com
Issued: 2008
Written by: Rory Freedman, Kim Barnouin
Chapters:
ヤセたいのならヤメなさい
ストップ!炭水化物ダイエット
砂糖という名の悪魔
ねえ、腐りかけの死体はおいしい?
ほんとうは怖ろしい乳製品のはなし
あなたの食べるものがあなたをつくる
まちがいだらけのたんぱく質神話
みんなが気になるお通じについて
政府にいつか殺される
くじけないで。必ずきれいになれる
さあ、おいしく食べましょ
秘密のアドバイスを召し上がれ
もう目は覚めた?頭を使うのよ
この本の著者は、Rory Freedmanっていう方が元モデル・エージェントで、Kim Barnouinの方は元モデル、写真を見てもなかなかスタイルいいし、きっと「スキニー・ビッチ!!」って言われ続けたのだろうなあ。しかもヴィーガンで、アニマル・ライツまで信じているとなったら、ビッチ度倍増!でもこのタイトルは、「みんな健康になるということよりも、痩せることの方が大事みたいなので、戦略的付けた」って本の中では言ってるけど、いや~、ウソだ!あんまりそういう風に扱われてきたから、開き直ったんだろう!?!?

要約するとこの本は、身体に悪いものを食べなければ、人間は自然に痩せてきます、って言ってるんだと思う。つか、食品添加物や農薬、大量生産された食肉に含まれるホルモンや抗生物質から、砂糖、牛乳などの弊害が「身体に悪いですよ~」って言ってもみんな聞く耳持たないけど、「これって太りますよ~」ってトーンにするとみんな聞いてくれるから、っていうことで、「ダイエット本」として書いたんだと思う。

私はダイエット本とか栄養学、身体サイエンスみたいな本読むの大好きなので、内容的に目新しいことはほとんどなかった。健康ヲタクの人だったら、この本に書いてあることは大体知っていると思う。砂糖が中毒性があるのは血糖値がアップダウンするからだとか、添加物とか農薬が栄養分の吸収を阻害するとか。

ダイエット本として新しいのは、アニマル・ライツの概念を入れたことだと思う。今、アメリカでは注目されている、食肉が産業化されて、家畜たちがヒドイ扱いを受けている、ということを知ってもらい、「罪の意識」から肉を食べないように持って行き、それで痩せさせるという(笑)。あ、あと、

「牛やブタは、殺されるときに恐怖を味わう。生き物は、恐怖を味わったときには特殊なケミカルを身体が排出する。そんな肉を食べていたら、あなたの性格が悪くなる」

みたいな記述で、これって極論っぽく聴こえるけど、案外あり得るかもよ。白人が気性が荒いのは、肉食ってるせいかもしらん。

私が経験してきたダイエットを振り返ると、この本で書かれていることを実践できれば、実際に痩せると思う。でも、アマゾンの評価を読んだら、

「オーガニックは、アメリカではかなり浸透しているかもしれないけど、日本では高過ぎてとても実践できない」

って書いている人がいてさ。この本では、農薬の問題があるから、オーガニックを進めているんだけど。

日本では相当オーガニックって高いらしいけど、あたしも「ビッチ!」って呼ばれることを覚悟で言えば、

オーガニックで金かかるんだったら、食う量を減らせばいいじゃん!

これは正論だと思いませんか?しかし正論ってのは難しいんだよ(笑)。私は実践したのでわかります。食費を節約するために、食事の量を減らしたの。金かかってさらに太る、ってなんか二重にムカつくじゃん。だいたい、現代人は食べ過ぎなんですよ。みんな食べないで痩せるって不健康っていうけど、小食に慣れてくると、昔食べていた量が異常に思える。身体って慣れるものだから、今、「これくらい食べないとダメ」とか思ってても、食べないようにしているとそれで大丈夫になってくるんだよね。まあ、そこに行き着くまでが大変なんだけどさ。

それに、年を取るに従って、体重を減らして行かないといけないのよ。だって関節とか骨とかは弱くなって行くのに、体重増えたら余計負担かかるじゃん。それに運動能力は落ちていくものだから、出来る人でも運動量は減っていくわけだし、それに合わせて食べる量も減らさないと。

て私の持論はどーでもいいのですが、どちらにしろ、正論をコツコツと積み重ねていくことでしか健康と美しい身体は手に入らないし、そういう意味ではこの本は正論を言って、しかも、

「できない、できない、って言い訳するんじゃないわよ!だからデブなのよ、あんたたち!」

という、まさにスキニー・ビッチな口調でアジってくれるという、いい本だと思うよ。

まあ、アニマル・ライツとか、オーガニックの重要性、返せば農薬とか添加物の弊害を声高に言い過ぎ、っていう意見もあると思いますが、本人たちがそう信じているものをトーン・ダウンして書く必要はないからね。読む方が「話半分」って捕らえればいいことであって。

個人的には、今、大量生産されている食肉産業は、止めて欲しいと思う。「効率良く生産して、価格をリーズナブルなものにする」っていう域を超えて、「金が儲かれば、動物虐待もOK、消費者の健康なんて気にしない」ってのはやっぱおかしいよ。お肉はおいしいし、栄養もあるから食べたいけど、ホルモン剤打って増量したり、不衛生なところで育ててるから抗生物質を打ってばい菌が増殖しないようにしたりしている肉じゃあ食いたくないよ。それじゃあ「安かろう、悪かろう」じゃん。

動物が可哀想、と言うのももちろんあるんだけど、その前に、「良い品質のものを作って、『これならお金出してもいい』っと消費者に思わせて商売する」っていう心意気じゃない人たちが劣悪な商品を売って金儲けをして、またそれを買わされている人たちが黙ってるっていうのが耐えられない。

おっと、また自分の意見になっちゃったよ。私は結構この本を書いた人たちと意見似ているかも。まあ、ビッチなのは言わずもがな・・・・・。
感想 | コメント(4) | 【2010/01/24 06:15】
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『ザ・フェミニズム』-フェミニストは愛の戦士だ!
We fight for real love!

上野千鶴子さんと小倉千加子さんという、自分の本でもズケズケ言いたいことを言う二人の対談って~!もうすっげー面白いですよ。でも断って置きますけど、この二人が結託して男とか社会とか男に依存して生きる女を攻撃している、というような内容を想像しているのだったら大違いです。

feminism
book on amazon.com
Issued: 2005
Written by: Chizuko Ueno, Chikako Ogura
CHAPTERS
大阪公開対談:小倉千加子、六年の引きこもりから復活すること
「フェミニスト」とは誰のことか/女性知事の登場は「フェミニズムの勝利」か?/林真理子はフェミニストか/代議制民主主義ほどフェミニズムから遠いものはない/少子化は女の復讐か/生存を賭けた結婚/新・専業主婦志向とは?/ハイクラスな女の「自己保存」/予言-「癒し系結婚」が本格的少子化をもたらす/フェミニズムはシングル女のバイブルか/フェミニズムは衰退したか/誰に向かって語るのか/フェミニズムは田中真紀子を支持するべきか/社民党はフェミニズム政党か/夫婦別姓は支持しない/正しいフェミニズム?/
東京密室対談:他のフェミニストたちにはとても聞かせられないこと
主婦フェミニズムとは?/ウーマンリブとフェミニズム/八十年代フェミニズムの正体/専業主婦とフェミニズムは結託できるか/性的自由は自由の根源/対幻想をフェミニズム/フェミニズムは強者の思想か/フェミはなぜ嫌われる?/広がる女女格差とフェミニズム/東電OLと雇用機会均等法/パラサイト時代の結婚/フェミニズムは何を達成したのか/リベラリズムはフェミニズムの敵である/クィア理論は是か非か/「老後は女同士で」という欺瞞/援交と新・専業主婦は、家父長制につく白アリである/フェミニズムが目指すもの
この二人全然気が合わない!「あんたあん時はこう言ったやん」とか「そういう言い方されると不愉快」とか、互いに互いの「フェミニズム」をツッコミまくる。しかも揚げ足取りの、重箱の角つつきの、ああ言えばこう言う、かなり恥も臆面もなく醜く争ってて、タイトルに『ザ・フェミニズム』とあるとおりに「さあ、フェミニズムというものをズバッと突きつけてくれよ!」と思う人にとってはなんじゃこりゃ~って感じになっちゃうかもしれません。

でもこれがフェミニズムの実態だと思うんですよね、アタシは。本の中でも語られている通り、フェミニズムって言っても女性を解放したいのか、女の地位を上げたいのかによっても違うじゃない。奇しくも私がついこの間『ダークナイト』で書いたけど、マギー・ジレンホールは女の地位を上げたい人なのよね。それに、フェミニズムの問題ってのは、他のあらゆる社会問題と関わってくる。結婚/離婚/非婚、少子化、老後の生活、職場、給料格差・・・・加えてゲイ・レズビアンの問題、性の問題など、突き詰めていくと「人間の幸福とは?」みたいな哲学的なところまでいってしまう。

一つ「うーん」と思ってしまったのは、二人とも「自由恋愛で不倫やってる女が一番かわいそう」と言ってるくだり。風俗嬢とか援助交際とか、男にヤラせるんだったら金取るか、妻という地位に座って養ってもらうんならまだしも、タダ乗りさせるとは何事だ、みたいな。この理論で行ったら、不倫って一番対等な関係に見えるんだけどなあ、私には。お互い自分の生活があって、女は男から金取らないし、男は女にパンツ洗えの夕飯作れのという要求もしない。デートしてセックスして楽しいときを過ごし、「じゃあ、また!」って自分の家に帰るから四六時中ベタベタしてうざったい関係でもない。でも一夜限りの関係じゃなくて何度もデートするんだったら、お互い気に入ってるわけじゃん。

上野さんは「対幻想とフェミニズム」という章で、対幻想というのは、お互いに特別な個人であっても、それは相手の性的自由の束縛までは含んでいない、という関係のことと言っている。「感情があることは認めるよ、でも感情とルールは違う」と。つまり愛し合っているという「感情」において二人は特別なのであって、他の人とは寝ないという「ルール」でお互いに特別であるのではない、と言っていると私は解釈したのですが、そうすると不倫と言うものが、女が好きになってしまった男がたまたま結婚していた。しかし男も結婚はしているけど愛しているのはこの女だ、という関係であるならば、上野さんの言う「特別な人」なのじゃないかなあ。「自由恋愛で不倫する」ってそういうことじゃないの?私だったら妻の座について養われていても「特別な個人」じゃない方が、よっぽどかわいそうだと思うし、ぶっちゃけこの場合、「特別な人」がいるのにそれに精神的にも肉体的にも縛られない不倫してる女の方がいいとこ取りだと思うが。

最後に二人はフェミニズムが目指すもの、という題目で締めくくろうとするんだけど、これが全然まとまんないんだよね~(笑)。でもさすが頭いい人たちだから、筋は通ってるよ。問題は3つあって、一つ目はフェミニズムが女性解放であるならば、何が解放なのかは個人によって違う「これが女の解放です!」って他人に押し付けられても、それは真の解放ではないから、個々が決めなくてはいけない。二つ目は、フェミニズムは男社会による「女とはこうあるべきだ」という決め付けと戦っているわけだけど、じゃあ「女とは何か」というのをフェミニズム側から「これです!」って言われても、やはり個々が「これが自分よ、これが自分という女よ」というものがなければ結局は押し付けになってしまう。最後に、もしフェミニズムが現在の男中心のシステムを覆して新しいシステムを作るとすれば、今度はそのシステムによって縛られる人も出てきてしまう。

この結論は賛成なのだけど、非常に女性的だなと思った。女性的で好き。男は、それでも「これ!」っていう集団としてのゴールを決めて、誰かが上に立って、誰かが歩兵になって、頂点を極める、って言うことに拘泥するけど、女は一人一人の要求を尊重して、誰かが歩兵になって犠牲になったり、誰かが上に立ったりしないような解決策を見出そうとする。解決しないんだけどさ~そんなことしてると!でも男の方法は即効性という意味では優れているけど、結局は戦いが繰り返されて行くので、一時的には解決したように見えても実はしてないのよね。現在の社会を見ればそれは明確ですよね。

フェミニズム/フェミニストと言っても一口で語れないことから、上野さんも小倉さんも「こんなヤツフェミニストじゃねえ」と他のフェミニストを批判してみたり、逆に「世間でフェミニストとして認められているのがコイツラだったら、自分らはフェミニストじゃないんじゃないか」と自己分析したりしているんだけど、私はフェミニストというのは、性別という概念や社会での性差別に関して「え?そうだっけ?」と思ったことは積極的に口に出していく人のことだと思うから、この二人はフェミニストだと思う。それにフェミニズムってのはイズム(主義)なんだから、なんかを成し遂げるとか解決するシステムじゃなくて、生き方ってことでしょ?

小倉さんは対談の間中、漫才に徹してるんだけど、最後に大真面目にこう言ってます。

"人間が自分の感情の潜在的可能性を開く時、最初に変わるのは他人との関係です。「制度化されたいかなる関係にも似ない、密度の濃い関係を数々もたらすことは可能だ」とフーコーは言ってます。(中略)問題なのは誰と誰が制度の外でセックスしているかではない。誰と誰が愛しあっているかなんです"

フーコーは愛を「他人を喜ばせることが出来る一切の事柄の総計」であると言い、小倉さんがフェミニストであり続けるのは

"私は人を、周りの人たちを喜ばせ続けたい。何でか言うたら、世界が色彩にあふれて見えるから。愛が飛び交う濃密な関係をあっちこっちでみんなが実践すればいいと思う。"

なんて言うんですよ!超ハードコアな、こわーいフェミニズムのお姉さんみたいな顔して、こんなロマンチストなんだ。私は小倉さんがフェミニストとして怒っているのは、形ばかりで愛のない関係を強要する制度なんじゃないかと思った。またはそれを疑問も抱かず許容している人たち。フェミニストとは愛のために戦う戦士なんですよ。美しいじゃありませんか!

小倉先生のほかの本
■松田聖子論
■結婚の条件
■セックス神話解体新書
■赤毛のアンの秘密

Key Words 本 ザ・フェミニズム 上野千鶴子 小倉千加子
たまには真面目なお話もしましょう | コメント(0) | 【2008/09/01 04:17】
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『美人とは何か?―美意識過剰スパイラル』-イタイ女としてどう生きるべきか
Why is it so painful to be an independent girl?

ジムに通い始めて、パンツのフィット感が変わってきた頃、それこそ今までの鬱憤を晴らすかのように買い物しまくって、色々おしゃれして会社に行くようになったんですけど、そうすると必ず、

美人とは何か?―美意識過剰スパイラル
book on amazon.com
Issued: 2005
Written by: Usagi Nakamura
CHAPTERS
第一章 美人とは何か?
「ブス」と美人のあいだに/黒木瞳は美人かブスか/「絶世の美女」って、想像できますか?/バービーは「女の欲望」である/バービーが教えてくれたこと/バービーとリカちゃん・バービーに見る「美人の変還」男モテVS女モテ/「男女認定美人」になるためには?/目指せ、盆栽美人!
第二章 「美醜」ときれない「モテ」問題
中村うさぎは、なぜ、こんなにも美人になりたかったのか?/「整形」という爆弾で、手に入れたものは?/誰のために美人になるのか?/「面食い」宣言!/美人の条件「オーラ」考察/美人オーラとブスオーラ/「色気」の正体/「美人」と「ブス」と「かわいい」について/自己主張の強い「顔」は「ブス」なのか?/
第三章 「ブス」を救え!
ブスを嫌うのは女である/ブスを救う手立てはあるか/ブスを救う手立てはある!/「魅力的なブス」では美人を語れない/モテ攻略1 地味な女はブスなのか?/モテ攻略2 対極の二人/デブ女に対する、我々の耐え難き怒り/若作り女の教訓/美醜ヒエラルキーから逃れられるか
第四章 美意識過剰スパイラル
美醜ヒエラルキーとの戦い方「自意識」編/美醜ヒエラルキーとの戦い方「ブス神」編/美醜自意識過剰の根底にあるもの
【ガチンコ対談】
小谷野敦VS中村うさぎ
モテない男VSモテない女「モテ&美醜ヒエラルキーの底辺を救えるか?!
【おしゃべり懸談】
マツコ・デラックスXエスムラルダX中村うさぎ
ブス神 降臨!「『ブス』から脱却せよ!」
「チューちゃん、最近おしゃれだねえ、男ができたのか?」

と言われるのよね。男なんかかんけーねーよ、痩せたんだよ!気付けよ!とか思うのだけど、女って、特定の男のためにきれいになろうとすると思われているのかしら?それか、男の気を惹くために?

うさぎさんは、自分がええ歳こいてまだ「きれいになりたい!」と悪あがきして整形しちゃったことに対してよくよく考えたらしく、「なぜ女は美人になりたいのか、そもそも美人とはなんなのか」をかなり哲学的に考えて、こんなを書いてしまったようなのですが、文字一つ一つに共感してしまったよ。

私は、整形はしなかったけど、太っている自分が許せなくてジムに通い出したものなあ。なんかそういう自意識の強さって、恥ずかしいと思ってたから、昔は「いいじゃん、デブであることで人間性問われるわけじゃないし」とか、自分を納得させようとしていたのだけど、納得できないのよね。

うさぎさんも、「美醜に拘泥する」ことはレベル低い、頭悪い、と思われるから、そんな自分がやだったみたいなんだけど、どうやらそういう自分を最後には認めたよう。そもそも、この世の中、美醜に拘泥するようにできているのに、それは馬鹿のすることだ、という風習もあり、そんな中で女が悩んだり落ち込んだりするのはアホくさい。前向きに生きるためには、そういう自分を受け入れ、またそういう風習で人の自由を押さえつけようとする世間に体当たりしていこう!というのがこのの趣旨だと思うわ。

第三章の「ブスを救え!」では、『ブスを嫌うのは女である』と書いてあるのだけど、当にそうなのよね。同族嫌悪ってんですか。女はみんなどっかで自分をブスだと思っていて、「ブスはブスなりに生きなきゃなんねー」と思いながら生きているのに、ブスのくせにおおらかに生きているヤツがいるとムカついたりとかさ。そうやってブスの居心地を悪くすることは、結局、自分も世間に融合して、女の行動範囲を狭めているだけなのに、そーゆうことしちゃうのよねー、アタシたちって。

その辺のところをガンガン指摘してくれるのです、うさぎさんは。この人、自分のこと「イタイ女だ」って言うんだけど、ある意味超イタイ女だね。ここまで自分を曝け出して、分析するって、痛いよ。それがまた、女共通の痛さだったりすると、そういうものを見ないでやり過ごしたかった女たちには叩かれるだろうし、また女が立ち上がることを快く思わない男たちには攻撃されるし、四面楚歌にならないかね。だからオカマの人たちと仲がいいのか。

私は、うさぎさん、大好きですがね。アタシ、自分てこの人に似てると思うもん、色んな意味で。イタさとか。なんか顔も似てないかと思うし。考え方はもうそっくり。最初のバービー人形に対する考察なんか、もう、そのとーりです!って感じ?うさぎさんはバービーのような美人になりたかった、それはバービーの象徴するものが「自由」だったからだ、男も要らない、家族も要らない、誰かに守られている可愛い女じゃなく、自立して、一人で人生楽しめる女!(その対極にいるのがリカちゃんなのですな)

やっぱさ、男がいない女は孤独で悲しい、という風潮があって、自立して超幸せでも、周りからは「ああ~男がいなくて可哀想」なんて思われてしまうわけよ。だから、一人で生きている女が美しくある、ということは大事なわけ。「独りだけど、当に幸せなのよ!」と、周りを納得させることができるのよ。冒頭に書いたように、キレイな女は男がいる、というレッテルを引っ剥がさないといかんのよ。

あと、うさぎさんの文章ってすっごい好き。『です・ます』、『である・だ』、から口語まで、様々な文体を使って書いているのだけど、これって国語では「絶対やってはいけない」と教えられる書き方なんだよね。全体の雰囲気が統一できないから。でも逆に言うと、調子を変えたいときに使うとメリハリが出るし、その方が言いたいことが伝わるんだよ。『です・ます』は、自分の意見をズバッと言いながらも攻撃的に聞こえたくない時に、『である・だ』、は揺るぎない事実をハッキリ伝えたい時に、口語は、自分の正直な気持ちを、読者と同じ目線で伝えたい時に、という感じで。

まあ、なんでもそうだけど、こういう文章の書き方とか、内容とかに共感できない人は、全く好きでもなんでもないと思うけどね。実際、私の親友は「この人、こだわりあるよねー」って言ったきり、余りこれと言って感想はないようだった。多分、彼女は私ほど美醜については考えない人なのかもしれない。そういう女も実際にいるわけなんだけど、それでも、中村うさぎみたいな人が出てきて、胸を張って生きているとは、いい時代になったな~と思うよ。励みになります。

Key Words  美人とは何か?―美意識過剰スパイラル 中村うさぎ
紹介したい本 | コメント(2) | 【2008/03/23 02:04】
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『赤毛のアンの秘密』-違う角度から見る楽しさ
Look at it from another angle...

こので語られている「赤毛のアンの秘密」というのは一口で言うと、『赤毛のアン』というは、アンという恵まれない女の子が健気に生きていくという教育的な読み物として広く児童に紹介されているが、実は女性であることにジレンマを感じていた作者・モンゴメリの叫びであり、しかも当時の女性の地位から、叫びきれずに下位身分に甘んじたモンゴメリの絶望を内包していることであるようです。

「赤毛のアン」の秘密
book on amazon.com
Issued: 2004
Written by: Chikako Ogura
CHAPTERS
第一章 海の風景
第二章 モンゴメリの最期
第三章 父の娘
第四章 マシュウ殺害
第五章 幸福な将来への恐れ
第六章 アンの結婚
第七章 双子の記号
第八章 「ロマンチック」の呪縛
アンは、孤児でありながら明るく前向きで、成績も男の子に負けず、仕事も持ち自立し、しかもステキな旦那さんと結婚して子供も設け、幸せな一生を送った、「女の人生の理想」として描かれでいるが、これは戦後日が女性に「自立」を奨励することによって勤勉させるが、結局は優秀な「家庭内労働力」として男に奉仕する道を自らの「幸せ」として選ぶようにしむけるのに貢献した理想像、と小倉千加子先生は分析します。

読んだことないからわかりませんが、『赤毛のアンの秘密』から察するところ、『赤毛のアン』は非常にポジティヴな、善良な、ストレートな物語のようなので、それのダークな面をことさら強調して分析している小倉先生に、アン・ファンの人たちは非難ゴウゴウのようなんですが、小倉先生は、題材が赤毛のアンだろうが松田聖子だろうが、言ってることはいつも一緒のようなので、アン・ファンの方々が夢を壊されて怒る気持ちもわかりますが、どうか堪えてつかあさい。

小倉先生が結婚を強く否定することに拒絶反応を示す女性は(男性も)多いと思うのですが、小倉先生の著書を何冊も読んで気が付いたのは、先生が結婚を否定するのは、「結婚」と「自立」が、男には両立するのに、女には両立しないからだと思いました。

そのことを小倉先生は『赤毛のアン』の物語の中に見出します。それは、アンの愛する人となるギルバートとの成績での競争で、2人は五分五分なのですが、最後にアンは負ける。そして後年、ギルバートと結婚するアンは「優しい形の降伏」をする。

つまり、女にとって自立するということは、社会で男と競争していかなければならないことなのだけど、男に勝ってしまう女は男に愛されない、というジレンマがある。その上、男に愛されないと不幸というレッテルを貼られ、その孤独に耐えられず、少女の頃の勝気さを失い、制度に飲み込まれていく女が多いことが、小倉先生には許せないのです。

それともう一つは、社会は「結婚」にロマンチックなもの、というイメージを与えることによって、多くの女性に「結婚こそが人生のゴール」と思い込ませて制度に取り込んでいることではないでしょうか。

優しくていい人なの、とか、頭が良いとか、マジメとか、顔がいいとか、「賞賛に値する美点」を持つ人と恋愛することを小倉先生は「ロマンチック恋愛」と呼んでいます。「ロマンチック恋愛」をして結婚することが幸せ、と一般に言われているし、『赤毛のアン』にも書かれているが、そんなものはウソだ、と小倉先生はバッサリ切っています。結婚というのは、始終一緒にいて全てを分かち合っていかないとならないので、価値観が違う人とか、見た目が好みじゃない人とかではイヤになってしまう。だから当は恋愛して結婚しているのではなく、結婚に向いている男をみつけて、その人を愛し求めていると思い込んでいるだけなのだと。

小倉先生がこのの中で言及している、モンゴメリの「命をかけた恋」-「情熱恋愛」と定義され、「ロマンチック恋愛」とは区別されています-の話が、私には一番印象に残っています。モンゴメリは、若いときにハーマンという青年と恋に落ちるのですが、ハーマンは、農夫かなんかで、教育もされてないし、ヅラも良くないし、洗練されてなくてラフだし、知性を尊び、面喰いであるモンゴメリの理想にはこれっぽっちも叶わない男なのにも関わらず、彼女は気も狂わんばかりにこの男を愛し、逢瀬を重ね、婚外に肉体関係を持つことに罪の意識を感じながらも会わずにはいられない。

モンゴメリは結局事情があってハーマンと別れてしまうが、事情が許しても「ハーマンと結婚していたらとんでもないことになっていただろう」と後年、日記だか文通相手への手紙だかに書いているらしい。

つまり「情熱恋愛」というのは、強烈な肉体的魅力に惹かれることであり、なぜこの人に惹かれてしまうのかなんだかわからないものであり、その愛以外のことはどーでも良くなってしまう、非生産的かつ自己破壊的なものである。そして小倉先生はどうやら、これが当の恋愛である、と言っているようなのです。

どうしてこの部分が印象に残ったかと言うと、私はこの「情熱恋愛」のような自己破壊的な恋愛ばかりしてきて、自分には「ロマンチック恋愛」のような先々何か実りのあるものに転化していくような恋愛はできないのだ、ということに長年引け目を感じてきた。しかし小倉先生は「ロマンチック恋愛」というのは結婚が目的でする妥協の産物であり、本当の恋愛とは自己破壊であっていいのだ、と肯定したからです。

小倉先生は結婚を否定している、そして私はそれに賛成しているわけですが、それは結婚が悪い、と言っているのではなく、結婚が誰にとっても幸せである、というのは違うのではないかと思うのです。

実際モンゴメリも、結婚するということは「自由を失うことである」と自覚しており、それを幸福と言うのなら幸福な将来に対して恐れさえ抱いている。しかし、結婚していない女に貼られるネガティヴなレッテル(具体的に出てくるのは、ボウエンばあさんで、モンゴメリの別の本のキャラのようなんですが、このモデルである実在の女性は大変教養のある人物で、上の学校に進学したが、後に結婚した男に捨てられ、そのせいで気が狂った、と噂されていた)を恐れて、牧師さんと安全な結婚をするが、満たされない生活を送り、精神病にかかって、最期は自殺してしまう。

モンゴメリは、当時では珍しく、自分の筆だけで生活できるくらいのお金を稼いでいた女性で、経済的には自立できたのにも関わらず、精神的にすり込まれた「女の幸せは結婚」という呪縛から逃れられなかった。その呪縛から逃れられなくて不幸な生活を送っている女は現代でもたくさんいるし、また男もそうなんじゃないかと思うのです。

フェミニズムというのは敬遠されがちですが、フェミニストの意見を聞くということは、社会にある様々な慣習やルール、当たり前だと思っていたものを別の角度から見る機会を与えてくれます。それは、正しいとか間違っているという基準でしか物事を計れない心では絶対に得ることの出来ない、全てのしがらみから自由になって人間の真理を追究する機会だと思う。小倉先生の本はこれからもいっぱい読んでみたい!

小倉先生のほかの本
■松田聖子論
■結婚の条件
■セックス神話解体新書

Key Words 本 赤毛のアンの秘密 小倉千加子
ブックレビュー | コメント(2) | 【2007/10/07 08:40】
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『松田聖子論』-聖子ちゃんって、ぶっ飛びー!だったのね
Was she my role model? No fuckin way!!

このは、松田聖子というアイドルがどうして80年代に出現し、そしてその存在が女性の生き方にどういう影響を与えたかを、聖子とは対照的な70年代のアイドル、山口百恵との比較により、フェミニズムの観点から斬っています。

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の写真も、著者の写真もみつからないので、聖子ちゃんの写真を持ってきました
Issued: 1989
Written by: Chikako Ogura
一番の見どころ(読みどころ?)はやっぱし、小倉先生の職である、心理学を使って分析された聖子と百恵の歌詞でしょう。特に百恵の方は、「私小説の手法にのっとった"青い性"路線」で売り出されたために、シングル1曲1曲が、百恵の成長を映すかのように変化して行く様がありありと伝えられている。

例えば『プレイバックPartII』は、当時「新しい女」の歌であり、「新しい女」の心理学的キーワードは、「真っ赤なポルシェ」「ひとり旅」「馬鹿にしないでよ」「坊や」である。この歌は大げさでもなんでもなく"歌謡曲至上初めて<運転する女>を歌っている曲"であり、それによって<男の車の助手席に座る女>というイメージを払拭したと。

阿木耀子が作詞したこういう「新しい女」を歌った百恵はしかし、<大人の女>に憧れる一方で<自立した女>になることはイヤで、さだまさしの『秋桜』を歌うことにより、<日の娘>に回帰していくのである!

対して聖子は、「スカートをはいた少年」であり、日的制度に回帰する女であった百恵とは逆に、"日の女にならない女-ナショナリズムを超えていく女"である。

その聖子ワールドを作り出した作詞家の松本隆の経歴を追いながら、日本語のロック、フォーク、ロックンロールの歴史にものすごく詳しいのがまた脱帽。勉強家のようだからすごいリサーチしたのだろうけど、時代的にもかなりファンだったのでは、という感じ。それだけでなく、百恵の世界を作り出した谷村新司や宇崎竜童は和音構成が単純で日本の大衆好みの泣きが入っているが、聖子ワールドを作り出した

"・・・細野晴臣や松任谷由美の曲には、ギターの初心者にはなかなか演奏できそうにないメジャーセブンスだのディミニッシュといったコードが頻繁に登場します。これは一言で言えば、ジャズ調のコードです"

などと、音楽そのものにも知識があるらしく、すげー人だなと思う。

また、松田聖子が出てきた背景には、70年初頭の少女マンガ御三家(萩尾望都、大島弓子、山岸涼子)が"少年愛の世界"を描くことにより、読者である少女たちが、「男が快楽の客体になるのを視る」ことによって、女の主体としての自由を認知したこともあげているのですが、このマンガ論も、ただリサーチで読んだだけではない、多分、本人もずっぷりハマッたのではないかと思われる。

小倉先生の面白さって言うのはこの大衆性で、すごい学術的なことを言っているにもかかわらず、がんがん読めてしまうのは、大衆が下世話に興味を持つものに、小倉先生も興味があるからなんだよね。

女性論の観点から感じたのは、百恵ちゃんのところでさんざん書かれていた<日本の娘>への回帰って言うのがよーするに、日本で<大人の女>になるっていうことは<日本の女>に帰ること、日本の制度の中に帰ること、すなわち結婚して男に奉仕することを受け入れられる女になることであって、けして<自立した女>、つまり「一人で生きられる女」になることではないのだなーと思った。<自立した女>というのは、どちらかと言うと聖子ちゃんの記号で、「傲岸不遜」「わがまま」「社会的意識の欠如」というようなレッテルが貼られているように思った。

小倉先生が「日本の女」という表現を良く使うのと、松田聖子をして「ナショナリティを超えていく女」と言ったところを読んで、私のアメリカや白人に対する憧れ、そして実際に日本を脱出したのは、まさにこの時代の影響をモロかぶったのかしら!と思った。今考えて見れば、アメリカの方がいい国であるわけでも、より優れた文化があるわけでもない。ただ、「自由」を体現していたのはやっぱりアメリカだったと思う。ヨーロッパの情緒でもない、ただひたすらおっぴろげーなアメリカという国。

それから、「スカートをはいた少年」という』表現。私は男の子にも憧れていた。男になりたかったなあ。それも、男の方が女より優れているからとかじゃない、ただ男の方が「自由」に見えたから。野球もスポーツカーもヘビメタも、ホントは好きじゃなかったのかも。ただ「男の子がすること」はみんな楽しそうに見えただけかも。「ブリッ子」とか言ってさんざん馬鹿にしていた松田聖子に実は意識下では影響を受けていたのかなーと思うとなんだか面白い。

でも私の「女性」という意識にものすごいインパクトあったのはやっぱマドンナだと思うね。あの人はどうしても無視できなかったな。セクシャリティを武器にすることは「やっぱり女だからなあ~」とシリアスに扱ってもらえないような時代だったのに、男が下半身でモノを考えるのは私のせいではないっ!と、何事に関しても絶対に「私が悪いの」と言わない女。あれこそ<自立した女>だよ。そしてアメリカは、ああいう女でも単なる「怖い女」で終わらない国だったんだものなあ。まあ、私が憧れちゃって当然だったわけだ。しかし私は「怖い女」というより「オモロイ女」なので、アメリカでも難儀していますが。

しかしさあ、山口百恵って21歳で引退して結婚したんだね。そんな若かったんだ!当時はすっごいおねえさんみたいに思っていたのに!

小倉先生のほかの本
■赤毛のアンの秘密
■結婚の条件
■セックス神話解体新書

Key Words 本 松田聖子論 小倉千加子
読書ノウト | コメント(3) | 【2007/09/06 10:05】
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「嫌いなら観なきゃいいじゃん」と言うほど馬鹿げた理論はない!とアジテイトする『姫のお楽しみ袋』

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