|
Why is it so painful to be an independent girl?
ジムに通い始めて、パンツのフィット感が変わってきた頃、それこそ今までの鬱憤を晴らすかのように買い物しまくって、色々おしゃれして会社に行くようになったんですけど、そうすると必ず、
と言われるのよね。男なんかかんけーねーよ、痩せたんだよ!気付けよ!とか思うのだけど、女って、特定の男のためにきれいになろうとすると思われているのかしら?それか、男の気を惹くために? うさぎさんは、自分がええ歳こいてまだ「きれいになりたい!」と悪あがきして整形しちゃったことに対してよくよく考えたらしく、「なぜ女は美人になりたいのか、そもそも美人とはなんなのか」をかなり哲学的に考えて、こんな本を書いてしまったようなのですが、文字一つ一つに共感してしまったよ。 私は、整形はしなかったけど、太っている自分が許せなくてジムに通い出したものなあ。なんかそういう自意識の強さって、恥ずかしいと思ってたから、昔は「いいじゃん、デブであることで人間性問われるわけじゃないし」とか、自分を納得させようとしていたのだけど、納得できないのよね。 うさぎさんも、「美醜に拘泥する」ことはレベル低い、頭悪い、と思われるから、そんな自分がやだったみたいなんだけど、どうやらそういう自分を最後には認めたよう。そもそも、この世の中、美醜に拘泥するようにできているのに、それは馬鹿のすることだ、という風習もあり、そんな中で女が悩んだり落ち込んだりするのはアホくさい。前向きに生きるためには、そういう自分を受け入れ、またそういう風習で人の自由を押さえつけようとする世間に体当たりしていこう!というのがこの本の趣旨だと思うわ。 第三章の「ブスを救え!」では、『ブスを嫌うのは女である』と書いてあるのだけど、本当にそうなのよね。同族嫌悪ってんですか。女はみんなどっかで自分をブスだと思っていて、「ブスはブスなりに生きなきゃなんねー」と思いながら生きているのに、ブスのくせにおおらかに生きているヤツがいるとムカついたりとかさ。そうやってブスの居心地を悪くすることは、結局、自分も世間に融合して、女の行動範囲を狭めているだけなのに、そーゆうことしちゃうのよねー、アタシたちって。 その辺のところをガンガン指摘してくれるのです、うさぎさんは。この人、自分のこと「イタイ女だ」って言うんだけど、ある意味超イタイ女だね。ここまで自分を曝け出して、分析するって、痛いよ。それがまた、女共通の痛さだったりすると、そういうものを見ないでやり過ごしたかった女たちには叩かれるだろうし、また女が立ち上がることを快く思わない男たちには攻撃されるし、四面楚歌にならないかね。だからオカマの人たちと仲がいいのか。 私は、うさぎさん、大好きですがね。アタシ、自分てこの人に似てると思うもん、色んな意味で。イタさとか。なんか顔も似てないかと思うし。考え方はもうそっくり。最初のバービー人形に対する考察なんか、もう、そのとーりです!って感じ?うさぎさんはバービーのような美人になりたかった、それはバービーの象徴するものが「自由」だったからだ、男も要らない、家族も要らない、誰かに守られている可愛い女じゃなく、自立して、一人で人生楽しめる女!(その対極にいるのがリカちゃんなのですな) やっぱさ、男がいない女は孤独で悲しい、という風潮があって、自立して超幸せでも、周りからは「ああ〜男がいなくて可哀想」なんて思われてしまうわけよ。だから、一人で生きている女が美しくある、ということは大事なわけ。「独りだけど、本当に幸せなのよ!」と、周りを納得させることができるのよ。冒頭に書いたように、キレイな女は男がいる、というレッテルを引っ剥がさないといかんのよ。 あと、うさぎさんの文章ってすっごい好き。『です・ます』、『である・だ』、から口語まで、様々な文体を使って書いているのだけど、これって国語では「絶対やってはいけない」と教えられる書き方なんだよね。全体の雰囲気が統一できないから。でも逆に言うと、調子を変えたいときに使うとメリハリが出るし、その方が言いたいことが伝わるんだよ。『です・ます』は、自分の意見をズバッと言いながらも攻撃的に聞こえたくない時に、『である・だ』、は揺るぎない事実をハッキリ伝えたい時に、口語は、自分の正直な気持ちを、読者と同じ目線で伝えたい時に、という感じで。 まあ、なんでもそうだけど、こういう文章の書き方とか、内容とかに共感できない人は、全く好きでもなんでもないと思うけどね。実際、私の親友は「この人、こだわりあるよねー」って言ったきり、余りこれと言って感想はないようだった。多分、彼女は私ほど美醜については考えない人なのかもしれない。そういう女も実際にいるわけなんだけど、それでも、中村うさぎみたいな人が出てきて、胸を張って生きているとは、いい時代になったな〜と思うよ。励みになります。 Key Words 本 美人とは何か?―美意識過剰スパイラル 中村うさぎ 紹介したい本
| トラックバック(1) | コメント(2) | ブログ・レポ | 【2008/03/23 02:04】
本袋 | 映画袋 | 音楽袋 | 記事袋 ************************************************** 遠くに住んでるあの人に(私とか)・・・アマゾンのギフト券 ************************************************** |
|
Look at it from another angle...
この本で語られている「赤毛のアンの秘密」というのは一口で言うと、『赤毛のアン』という本は、アンという恵まれない女の子が健気に生きていくという教育的な読み物として広く児童に紹介されているが、実は女性であることにジレンマを感じていた作者・モンゴメリの叫びであり、しかも当時の女性の地位から、叫びきれずに下位身分に甘んじたモンゴメリの絶望を内包していることであるようです。
読んだことないからわかりませんが、『赤毛のアンの秘密』から察するところ、『赤毛のアン』は非常にポジティヴな、善良な、ストレートな物語のようなので、それのダークな面をことさら強調して分析している小倉先生に、アン・ファンの人たちは非難ゴウゴウのようなんですが、小倉先生は、題材が赤毛のアンだろうが松田聖子だろうが、言ってることはいつも一緒のようなので、アン・ファンの方々が夢を壊されて怒る気持ちもわかりますが、どうか堪えてつかあさい。 小倉先生が結婚を強く否定することに拒絶反応を示す女性は(男性も)多いと思うのですが、小倉先生の著書を何冊も読んで気が付いたのは、先生が結婚を否定するのは、「結婚」と「自立」が、男には両立するのに、女には両立しないからだと思いました。 そのことを小倉先生は『赤毛のアン』の物語の中に見出します。それは、アンの愛する人となるギルバートとの成績での競争で、2人は五分五分なのですが、最後にアンは負ける。そして後年、ギルバートと結婚するアンは「優しい形の降伏」をする。 つまり、女にとって自立するということは、社会で男と競争していかなければならないことなのだけど、男に勝ってしまう女は男に愛されない、というジレンマがある。その上、男に愛されないと不幸というレッテルを貼られ、その孤独に耐えられず、少女の頃の勝気さを失い、制度に飲み込まれていく女が多いことが、小倉先生には許せないのです。 それともう一つは、社会は「結婚」にロマンチックなもの、というイメージを与えることによって、多くの女性に「結婚こそが人生のゴール」と思い込ませて制度に取り込んでいることではないでしょうか。 優しくていい人なの、とか、頭が良いとか、マジメとか、顔がいいとか、「賞賛に値する美点」を持つ人と恋愛することを小倉先生は「ロマンチック恋愛」と呼んでいます。「ロマンチック恋愛」をして結婚することが幸せ、と一般に言われているし、『赤毛のアン』にも書かれているが、そんなものはウソだ、と小倉先生はバッサリ切っています。結婚というのは、始終一緒にいて全てを分かち合っていかないとならないので、価値観が違う人とか、見た目が好みじゃない人とかではイヤになってしまう。だから本当は恋愛して結婚しているのではなく、結婚に向いている男をみつけて、その人を愛し求めていると思い込んでいるだけなのだと。 小倉先生がこの本の中で言及している、モンゴメリの「命をかけた恋」−「情熱恋愛」と定義され、「ロマンチック恋愛」とは区別されています−の話が、私には一番印象に残っています。モンゴメリは、若いときにハーマンという青年と恋に落ちるのですが、ハーマンは、農夫かなんかで、教育もされてないし、ヅラも良くないし、洗練されてなくてラフだし、知性を尊び、面喰いであるモンゴメリの理想にはこれっぽっちも叶わない男なのにも関わらず、彼女は気も狂わんばかりにこの男を愛し、逢瀬を重ね、婚外に肉体関係を持つことに罪の意識を感じながらも会わずにはいられない。 モンゴメリは結局事情があってハーマンと別れてしまうが、事情が許しても「ハーマンと結婚していたらとんでもないことになっていただろう」と後年、日記だか文通相手への手紙だかに書いているらしい。 つまり「情熱恋愛」というのは、強烈な肉体的魅力に惹かれることであり、なぜこの人に惹かれてしまうのかなんだかわからないものであり、その愛以外のことはどーでも良くなってしまう、非生産的かつ自己破壊的なものである。そして小倉先生はどうやら、これが本当の恋愛である、と言っているようなのです。 どうしてこの部分が印象に残ったかと言うと、私はこの「情熱恋愛」のような自己破壊的な恋愛ばかりしてきて、自分には「ロマンチック恋愛」のような先々何か実りのあるものに転化していくような恋愛はできないのだ、ということに長年引け目を感じてきた。しかし小倉先生は「ロマンチック恋愛」というのは結婚が目的でする妥協の産物であり、本当の恋愛とは自己破壊であっていいのだ、と肯定したからです。 小倉先生は結婚を否定している、そして私はそれに賛成しているわけですが、それは結婚が悪い、と言っているのではなく、結婚が誰にとっても幸せである、というのは違うのではないかと思うのです。 実際モンゴメリも、結婚するということは「自由を失うことである」と自覚しており、それを幸福と言うのなら幸福な将来に対して恐れさえ抱いている。しかし、結婚していない女に貼られるネガティヴなレッテル(具体的に出てくるのは、ボウエンばあさんで、モンゴメリの別の本のキャラのようなんですが、このモデルである実在の女性は大変教養のある人物で、上の学校に進学したが、後に結婚した男に捨てられ、そのせいで気が狂った、と噂されていた)を恐れて、牧師さんと安全な結婚をするが、満たされない生活を送り、精神病にかかって、最期は自殺してしまう。 モンゴメリは、当時では珍しく、自分の筆だけで生活できるくらいのお金を稼いでいた女性で、経済的には自立できたのにも関わらず、精神的にすり込まれた「女の幸せは結婚」という呪縛から逃れられなかった。その呪縛から逃れられなくて不幸な生活を送っている女は現代でもたくさんいるし、また男もそうなんじゃないかと思うのです。 フェミニズムというのは敬遠されがちですが、フェミニストの意見を聞くということは、社会にある様々な慣習やルール、当たり前だと思っていたものを別の角度から見る機会を与えてくれます。それは、正しいとか間違っているという基準でしか物事を計れない心では絶対に得ることの出来ない、全てのしがらみから自由になって人間の真理を追究する機会だと思う。小倉先生の本はこれからもいっぱい読んでみたい! 小倉先生のほかの本 ■松田聖子論 ■結婚の条件 ■セックス神話解体新書 Key Words 本 赤毛のアンの秘密 小倉千加子 ブックレビュー
| トラックバック(0) | コメント(2) | ブログ・レポ | 【2007/10/07 08:40】
本袋 | 映画袋 | 音楽袋 | 記事袋 ************************************************** 遠くに住んでるあの人に(私とか)・・・アマゾンのギフト券 ************************************************** |
|
Was she my role model? No fuckin way!!
この本は、松田聖子というアイドルがどうして80年代に出現し、そしてその存在が女性の生き方にどういう影響を与えたかを、聖子とは対照的な70年代のアイドル、山口百恵との比較により、フェミニズムの観点から斬っています。
例えば『プレイバックPartII』は、当時「新しい女」の歌であり、「新しい女」の心理学的キーワードは、「真っ赤なポルシェ」「ひとり旅」「馬鹿にしないでよ」「坊や」である。この歌は大げさでもなんでもなく"歌謡曲至上初めて<運転する女>を歌っている曲"であり、それによって<男の車の助手席に座る女>というイメージを払拭したと。 阿木耀子が作詞したこういう「新しい女」を歌った百恵はしかし、<大人の女>に憧れる一方で<自立した女>になることはイヤで、さだまさしの『秋桜』を歌うことにより、<日本の娘>に回帰していくのである! 対して聖子は、「スカートをはいた少年」であり、日本的制度に回帰する女であった百恵とは逆に、"日本の女にならない女−ナショナリズムを超えていく女"である。 その聖子ワールドを作り出した作詞家の松本隆の経歴を追いながら、日本語のロック、フォーク、ロックンロールの歴史にものすごく詳しいのがまた脱帽。勉強家のようだからすごいリサーチしたのだろうけど、時代的にもかなりファンだったのでは、という感じ。それだけでなく、百恵の世界を作り出した谷村新司や宇崎竜童は和音構成が単純で日本の大衆好みの泣きが入っているが、聖子ワールドを作り出した "・・・細野晴臣や松任谷由美の曲には、ギターの初心者にはなかなか演奏できそうにないメジャーセブンスだのディミニッシュといったコードが頻繁に登場します。これは一言で言えば、ジャズ調のコードです" などと、音楽そのものにも知識があるらしく、すげー人だなと思う。 また、松田聖子が出てきた背景には、70年初頭の少女マンガ御三家(萩尾望都、大島弓子、山岸涼子)が"少年愛の世界"を描くことにより、読者である少女たちが、「男が快楽の客体になるのを視る」ことによって、女の主体としての自由を認知したこともあげているのですが、このマンガ論も、ただリサーチで読んだだけではない、多分、本人もずっぷりハマッたのではないかと思われる。 小倉先生の面白さって言うのはこの大衆性で、すごい学術的なことを言っているにもかかわらず、がんがん読めてしまうのは、大衆が下世話に興味を持つものに、小倉先生も興味があるからなんだよね。 女性論の観点から感じたのは、百恵ちゃんのところでさんざん書かれていた<日本の娘>への回帰って言うのがよーするに、日本で<大人の女>になるっていうことは<日本の女>に帰ること、日本の制度の中に帰ること、すなわち結婚して男に奉仕することを受け入れられる女になることであって、けして<自立した女>、つまり「一人で生きられる女」になることではないのだなーと思った。<自立した女>というのは、どちらかと言うと聖子ちゃんの記号で、「傲岸不遜」「わがまま」「社会的意識の欠如」というようなレッテルが貼られているように思った。 小倉先生が「日本の女」という表現を良く使うのと、松田聖子をして「ナショナリティを超えていく女」と言ったところを読んで、私のアメリカや白人に対する憧れ、そして実際に日本を脱出したのは、まさにこの時代の影響をモロかぶったのかしら!と思った。今考えて見れば、アメリカの方がいい国であるわけでも、より優れた文化があるわけでもない。ただ、「自由」を体現していたのはやっぱりアメリカだったと思う。ヨーロッパの情緒でもない、ただひたすらおっぴろげーなアメリカという国。 それから、「スカートをはいた少年」という』表現。私は男の子にも憧れていた。男になりたかったなあ。それも、男の方が女より優れているからとかじゃない、ただ男の方が「自由」に見えたから。野球もスポーツカーもヘビメタも、ホントは好きじゃなかったのかも。ただ「男の子がすること」はみんな楽しそうに見えただけかも。「ブリッ子」とか言ってさんざん馬鹿にしていた松田聖子に実は意識下では影響を受けていたのかなーと思うとなんだか面白い。 でも私の「女性」という意識にものすごいインパクトあったのはやっぱマドンナだと思うね。あの人はどうしても無視できなかったな。セクシャリティを武器にすることは「やっぱり女だからなあ〜」とシリアスに扱ってもらえないような時代だったのに、男が下半身でモノを考えるのは私のせいではないっ!と、何事に関しても絶対に「私が悪いの」と言わない女。あれこそ<自立した女>だよ。そしてアメリカは、ああいう女でも単なる「怖い女」で終わらない国だったんだものなあ。まあ、私が憧れちゃって当然だったわけだ。しかし私は「怖い女」というより「オモロイ女」なので、アメリカでも難儀していますが。 しかしさあ、山口百恵って21歳で引退して結婚したんだね。そんな若かったんだ!当時はすっごいおねえさんみたいに思っていたのに! 小倉先生のほかの本 ■赤毛のアンの秘密 ■結婚の条件 ■セックス神話解体新書 Key Words 本 松田聖子論 小倉千加子 読書ノウト
| トラックバック(0) | コメント(3) | ブログ・レポ | 【2007/09/06 10:05】
本袋 | 映画袋 | 音楽袋 | 記事袋 ************************************************** 遠くに住んでるあの人に(私とか)・・・アマゾンのギフト券 ************************************************** |
|
Light reading, but don't take it light
いいな〜こんな本出してお金取れちゃうって!こんなのブログに書いてる人五万といて、みんなタダで読めちゃうのにちゃんと製本してもらって、お金も取れちゃうんだからなあ。いや、もちろん、タケちゃん頭キレるから、鋭いこと言うし、文章上手いし、芸人だからマジメなこと話しててもギャグ入ってるし(またその入れ方がツボを得ていて、噴き出しちゃうのよね)、言ってることいちいちスジが通ってるんですけどね。「こんな本」と言ったのは、内容がしょぼいという意味ではなくて、「生みの苦しみ」が全くない、という意味です。こんな200ページの軽いエッセイ、タケちゃんだったら移動の車の中でメモ用紙にざーっと書いたのを校正の人に渡しておしまい、って感じじゃない?
でも、CDって、人間が知覚できない周波数の音は情報が重くなるから切り捨てているんだって?「音楽を聴くにしても、生が一番いいというのは、その微妙な聞こえない音も実はちゃんと聞いているということじゃないか?」とタケちゃんは言っているが、それは賛成!そっかー、CDって便利だから好きだけど、そういうマイナス点があったとは。旅行で他の国に行ったり、ライブ観に行ったりすると時々、家でヴィデオとかで見てる方が良かったな、と思うことがあって、生で聴いたり見たりすることの価値ってなんなのだろう?と思ったりするのだけど、飛び込んでくる情報の多さが格段に違うってことなのだな。 それに通ずる話で、映画監督・北野武としては、戦争映画で、何万人の軍隊とかをCGで増幅して見せるより、本当のエキストラを5000人使った方がいいと言う。5000通りの動きがあるから、って。それは一理ある。そういうのが深みっていうものだものなあ。やっぱあれなのよ、その方が安上がりだからとか、簡単だから、という理由でテクノロジーを使うと、どんどん薄っぺらくなって行くんだろうね。アナログでは絶対できないことだからデジタルでやる!とか、常に新しいものを生み出す姿勢で使わないと。 あと、人間というのは模範して学んでいくものなんだけど、完璧に模範なんてできないから、微妙に違ってくる。その微妙に違うところが、その人独自のものに育っていく、と言っていた。だから、コンピューターでカット&ペーストする、っていうのは寸分の違いもなくコピーできてしまうので、その「微妙」な個性は生まれてこない、と。なるほど。 そういう芸術に関するウンチクはいちいち納得させられたな。 "女子高生が「真っ赤な夕陽みたいな」と一言で終わらせる夕陽の色を出すために、画家は苦労をする。自分が経験した「みたいな」を表現することがアートなのだ" そーなの、そーなの、ソースなの!そいで、この「みたいな」を表現しようとがんばることによって、初めて自分と向き合えるのよ〜。さすがタケちゃん、いいこと言うわ。 "・・・自分のために撮った映画を公開するのは、俺が面白いと思うことを、同じように面白いと感じる他人がいることを信じているからだ" ちょっと、これってさー、私、すっごい昔に自己紹介に書いたことがあるの!私は、私が面白いと思うことを、私と同じように面白いと思う人に出会いたいから、ブログを書いている、って書いたんだけど。タケちゃんが同じように感じているなんて、なんかうれしいわっ。 なんかこの芸術関連のところにすごい共感しちゃってますが、他のところもいちいちうなずいちゃうよ。それは単に私がタケちゃんと同じように感じる人なのか、それともこの人が頭良くて説得力があるから、みんな感化されちゃうのだろうか?毒舌タケちゃんだから、万人が賛成するようなこと言ってるハズないと思うのだけど、一つとして「そりゃー違うよー」とか、「それは納得行かないな」と思うところはなかったね。多分タケちゃんて、説教臭いとこがないんだろうな。言いたいこと言ってるけど、押し付けたりはしないもん。 更に、なんで芸人になったか、どんな家庭に育ったのか、漫才で舞台に上がる時の精神状態、芸人の師弟関係とかの裏話、あの顔がひん曲がった大事故の詳細やその時タケちゃんが感じたことなど、面白かったなー。200ページの割には色々書いてある。余りに読みやすいのでありがたみがないんだけど、この人って他の人が1000ページかけないと言えないことを、200ページで言っちゃってるのかも。 Key Words 本 全思考 北野武 本
| トラックバック(0) | コメント(0) | ブログ・レポ | 【2007/08/21 20:55】
本袋 | 映画袋 | 音楽袋 | 記事袋 ************************************************** 遠くに住んでるあの人に(私とか)・・・アマゾンのギフト券 ************************************************** |
|
Why can't we admit marriage sucks?
日本に里帰りしたときは、必ず御茶ノ水の三省堂と新宿の紀伊国屋に行って、平台に置いてある本をざざーと見て、良さそうなものはタイトルだけでどんどん買っちゃうんですけど、この『結婚の条件』もそうやって内容を知らずに買った本の中の一冊でした。
「うちの子がなぜ結婚しないのか、この本を読んで全てわかりました!」 という帯が目を惹いたからです。 私は自分がなんで結婚しないのか知りたいよ。厳密に言うと私は一度結婚していたことがあるのですが、あれはノリつーかなんつーか、たまたまチャンスがあったからしてしまったって感じで、それまでは結婚なんかに縛られるの絶対イヤと思っていたし、その後も何人か付き合った人もいるのですが、段々結婚以前に恋愛自体も面倒くさいなと感じるようになってきた。そういう心理がこの本を読んでわかるのだろうか!?と思ったわけです。 読んでみたらすっげー面白くって、一気に全部読んでしまい、もっと読みたくて『セックス神話解体新書』もすぐ買っちゃったくらいなのですが、今までこの本について書けなかったのは、イマイチ何が言いたいのかわからないからだったの。一応、話の大筋としては、日本には少子化問題ってのがあって、それの原因は、子供を生む年齢の女性たちが「適当な相手が見つからない」という理由で結婚しないからだ。では、その女性たちの「結婚の条件」というものを検証してみよう、という感じでしょうか。 多分この人、すっごいロマンチストで、「恋愛と結婚は別よ」とか、「三高」とか言って、結婚を経済的な手段と考えている女の子たちにムカついていたのだろうな。それでそういうことを色々調べているうちに、女性のそういう結婚観(恋愛観)は社会の構造や文化が生み出すもので、女は基本的に男に依存しないと生きて行かれないという構図で社会が動いている以上、こういう女の子たちはいなくならず、逆に「それだったらその恩恵を最大限受けてやろうじゃないの」と、開き直るヤツが出てきたのも尤もだと。 で、なんでみんな結婚しないかっていうと、この「最大限の恩恵」を与えてくれる「適当な相手」がいないからだと。結婚は社会的、経済的契約であり、愛とか恋とかで流されてするとロクなことにならない(こうしたいわゆる純愛を表現するのにスーパーの前で今川焼きを売っているヤンキーの若い夫婦が出てきたりするところがすっごい可笑しい)。 こう考えて見ると私が結婚しない理由は、経済的にも社会的にも男に依存するのがイヤだからだな。この本で書かれているように、学歴や生活環境でとても一人では食べていけない人が結婚によってしか生き残って行けないというのはわかるので、自分もそこまで追い詰められれば考えちゃうけど、理想は自分で自分を養って行くことだな。一人で不安、って気持ちはあるのだけど、二人が安定してるかって言ったら、それも疑問だしね。要するに私にとっては結婚の恩恵って全く意味がないのだな。子供も欲しいと思わないし。 で、じゃあなんで最近恋愛もめんどっちいかと言うと、小倉さんが下記のように表現してくれた。 "あの谷に行くとショッカーがいるから絶対行ってはいけないとさんざん言われているにもかかわらず、「あ、あそこにきれいなお花が」とか言いながらショッカーのいる谷にのこのこ行ってしまう。そういう「うっかり」した女がいないと、仮面ライダーは変身して敵と戦えないのだから、仮面ライダーと「うっかり女」は「共依存」していると言えるだろう。 一方、言われるまでもなくショッカーの谷には行かず、行かないのにもかかわらずなぜかショッカーがやってきて、それをまた仮面ライダーに頼る方法を知らないので、自分の力だけでやっつけてしまう女を「しっかり」した女と言う。 「うっかり」して「ちゃっかり」した女は、いつも仮面ライダーに守ってもらえる。しかし「しっかり」した女は、仮面ライダーに守ってもらえないし、実際仮面ライダーを必要としないのである。恋愛がそういう「うっかり女と仮面ライダー」の関係なら、恋愛はしたくないと思っている女は実際たくさんいると思う。" そうなんだよなー!私がしっかりしていると言ったら友人がみんな笑うだろうけど、男といると、ことさらしっかりできなくなるよ。男は頼られてないと思うとがっかりするみたいで、傷つけるのも可哀想だと自分を作っているうちに段々自分らしくなくなってきて、それでイヤになっちゃうのだ。逆に「しっかり」女が好きな自虐的な男もいるんだけど、そういうヤツはそういうヤツでべったり頼ってくるからうざいし。 それと致命的だなと思ったのは、"女はギャグの「受信機」でなければいけないが、「発信機」になってはいけない"。特に美人は少しでもハメをはずすと 「キミってイメージと違う人なんだね」 と言われ、「これは否定的なメッセージである。がっかりしたという意味である」と小倉先生は言っているんだが、これって本当なんだよー!私の場合は美人だからじゃなくて、 「お前は黙ってれば可愛いんだけどなあ」 って言われるんだよ!小倉先生の故郷大阪でさえ、オモロイ女はXなんだって。合コンの帰りの大学生が 「○○ちゃんて、カワイよなあ」 「せやけど、あいつオモロかったやん」 「そやねん・・・・」(重い沈黙) という会話をしていて、小倉先生は、 「オモロかったら、なんであかんのん?オモロい方がええやんか」と、会話に加わりたくてウズウズしたんだって。私もウズウズするよ! という風に最後、恋愛観に移っていくところが一番面白いのだけど、ここより後の話は命題から少し逸脱しているような感じで、それでまとめて感想を書こうと思ってもなかなか書けなかったの。でも今まで「おかしい」「なぜだ」と思っていたことを分析してくれ、「こうに違いないのに説明できない」と思っていたことには言葉を与えてくれ、また自ら世間の女性像に囚われて打破できなかったところを指摘してくれ、読み終わったあと清々しい気持ちになることには間違いないよ! 小倉先生のほかの本 ■赤毛のアンの秘密 ■松田聖子論 ■セックス神話解体新書 Key Words 本 結婚の条件 小倉千加子 幸せな結婚しよう
| トラックバック(4) | コメント(8) | ブログ・レポ | 【2007/08/19 21:51】
本袋 | 映画袋 | 音楽袋 | 記事袋 ************************************************** 遠くに住んでるあの人に(私とか)・・・アマゾンのギフト券 ************************************************** |
|
Love for the Dogs (and Cats, Birds, Gold Fish...)
著者の米原万理さんはロシア語の同時通訳の第一人者で、同時通訳という仕事の舞台裏を描いた『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』というノン・フィクションがめっさ可笑しくてファンになってしまったのですが、無類の動物好きでもあり、この本はそんな米原さんが自分の飼い犬や飼い猫に出会った経緯や、一緒に生活する中での面白い話などをまとめています。
米原さんちの近所に、ずーっと鎖に繋がれたまま、暑い日も寒い日も表に出しっぱなし、散歩にも連れて行かない、かまいもしないで、病気になって死にそうな犬がいて、米原さんは思わず金物屋で鎖を切る鋏を購入し、自由にしてやろうと思ったら、目の前で息絶えてしまった話なんか胸が詰まった。私もこの犬ほどではなくても、不幸な犬をたくさん知っている。みんな案外気が付かないのは、犬には飼い主しかいないということなのだ。人間は、自由に外に出て行って友達作ったり、辛いことがあったら逃げたりできるけど、犬はできないんだよ。飼い主が最悪だったら、それと運命を共にすることしか。米原さんは、犬のそんな宿命をわかって犬を飼っている人だと思った。 あと、興味深かったのは、解説。どうやら解説って言うのは、著者が自分の知り合いを任意でピックして「書いて」って頼むみたいで、結構裏話みたいのが読めるから面白くて好きなんだけど、米原さんは今回、同時通訳仲間に頼んだようで、その人が言うには米原さんは、 「二桁の男を体験して、"私の人生に男は要らない"っていう結論に達したの」 と豪語したという。 人間てのは孤独だからさ、誰かにそばにいて欲しいと思うじゃない?で、一般に彼氏・彼女とか、夫・妻という組み合わせで収まっている人たちが幸せの象徴のように教えられてきているから、自分にそういう人がいないというのを大変不幸、と感じたりするわけじゃない?だからそういう人を探そうとするし、見つかればキープしようと努力もする。でもさ、男女の番(つがい)として生きる、って言うのは人間の不文律な幸せではなく、それに合っている人もいれば、合わない人もいるものなのよ。 私は自分で合わない人だと思ったのだけど、最初は「ああどうしよう!私はこのまま誰にも愛されず、孤独に歳を取って死んでいくのね!」なんてかなり落ち込んだけど、今は「なんだ、一人でいた方が男といたときより全然幸せじゃん、あたし」とか思っちゃったりしてさ、ああ、米原さんもそんな風に感じたのかな、なんて思ったら親近感を覚えたの。 で、そのあと感じたのは、人間って愛されることより、愛することで幸せを感じるものなんじゃないかと思ったの。もちろん、愛されもしたいよ。でも幸せを感じるときっていうのは、惜しみなく愛情を注げる相手がいるときだと思った。どーりで男といるときに不幸だと思ったよ。愛情注げないんだよ、可愛くなくて。でも犬は可愛い!反抗もするし、気難しいこともあるし、面倒くさいこともあるのは男も犬も一緒なんだけど、可愛さが格段に違う。楽しそうに遊んでいるところなんか見ると、本当に可愛くって可愛くってひねりつぶしたくなっちゃうくらい。米原さんもそんな風に感じているのだろうなあと思って、さらにに親近感沸いた。 なーんて思っていたらさあ、この人去年死んじゃったんだって?56歳。卵巣がんだって。全然知らなかった。きっと後に残していくペットたちのことが心配でしょうがなかっただろうな。私もテツを看取るまではがんばらなくちゃ。 Key Words 本 ヒトのオスは飼わないの?? 米原万理 ペット 犬との生活
| トラックバック(0) | コメント(2) | ブログ・レポ | 【2007/07/24 09:55】
本袋 | 映画袋 | 音楽袋 | 記事袋 ************************************************** 遠くに住んでるあの人に(私とか)・・・アマゾンのギフト券 ************************************************** |










