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Kinsey
ローラ・リニーが目当てで借りたのですが、主人公のキンゼイ役がリーアム・ニーソンってのはもうけでした。本物のキンゼイさんと同じ髪型をしてがんばってました。ほとんどの人は知っていると思うけど、キンゼイさんて人は、初めてセックスを科学的に調査・研究し、『キンゼイ・レポート』なるものを世の中に発表した人で、この映画はその人の伝記映画です。
キンゼイさんは自分が結婚した際に性生活に問題があり、専門家に受けたアドヴァイスのおかげで問題が解消されたため、他の悩める人たちもざっくばらんに話し合える場があればと、今までセックスのマイナス面ばかりを強調したクラスではなく、セックスに関する真実を教えるクラスを作りたいと思う。あ、キンゼイさんは、動物学の教授としてインディアナ大学に勤務していたのですが。 で、キンゼイさんが「セックス・ドクター」として大学内で有名になってくると、性の悩みを持つ学生たちが相談にくるようになるのですが、この学生たちが信じているたわごとを私も子供の頃聞いたことがあって、結構最近なんだな性が開放されたのって、とか思いました。例えば、 ハイヒールを履きすぎると、不妊症になる 性欲を押さえ込むとどもりになる 口笛を吹くと梅毒になりやすい オナニーし過ぎると早漏になる などなど、聞いたことない?小学校高学年の頃、こういうことがまことしやかに話題になった気がするのですが。そうでなくても、女のオナニーは乳首が黒くなるとか、色々、「性的なことは悪いことだ」というような風潮は、私が小さいときはまだありましたもんね。 こういう誤解とかウワサとかは、性についておおっぴらに語れないので、真実を知る由もなく一人歩きして行っちゃう、と感じたキンゼイさんは、自分のクラスに集まってくれた学生たちに、自分たちのセックス・ライフについてのアンケートに答えさせる。そして、自らゲイバーに出向いて、当時異端者扱いされていたホモセクシャルの人たちにもインタヴューして回る。 で、キンゼイさんは自分自身がバイ・セクシャルだったということを発見してしまう。一緒にゲイバーめぐりした学生のクライドと、宿泊先のホテルで☆体験☆してしまうのですが、クライド役のピーター・サースガードがやたらフルチンでホテル・ルームを歩き回るので、 もうけた、もうけた と思っていたら、クライドがキンゼイさんを誘惑し始めるのよね。あら?で、キンゼイさんは抗らうことが出来ずに、二人はものすご濃密なキスをするのですが。 こういうシーンを観ると、またもや『ブロークバック・マウンテン』てなんでそんなに騒がれたのかと思う。まあ、この映画では男同士のセックス・シーンはないけど、『太陽と月に背いて』ではモロやってたもんなあ。やっぱ、カウボーイが同性愛、というところが保守的なアメリカ人のカンに触ったのだな。そうとしか思えない。 とにかく、自分がバイであることを知ったキンゼイさんは、本当に愛している奥さんのマックに正直に告白するのですが、マックはキンゼイさんを愛しているがために深く傷つく。キンゼイさんは、今の結婚制度は人間の自然な欲求に則していない、という結論に達し、キンゼイさんとマックとクライドは、奇妙な三角関係を続けることになる。そして、ある日クライドは、マックともセックスしたいと言う。マックは「私もクライドとしたい」と言い、自分がしたのにダメとは言えないキンゼイさん。こうして三角関係はますます奇妙になって行く。 この三角関係のエピソードは、ウィキとかでは「と言われている」って感じで、真実だったかどうかははっきりしないのですが、キンゼイさんが自宅で学生たちにセックスさせてフィルムに撮ったり、ということは本当に行っていたらしい。あくまで研究としてで、下世話な理由ではないようですが、当時はかなり変人と思われていたようです。 いや〜、キンゼイさんってのは興味深い人だったようですね。でもこの映画で使われているネタは、他人が書いたキンゼイさんの人となりとかウワサとかも含まれているようなので、全部鵜呑みにしちゃいけないみたいですけどね。映画としては、キンゼイさんはセックスで悩んでいる人を純粋に助けたいと研究を始めた、というスタンスですが、人によってはキンゼイさんは性に対してかなり変わった嗜好をもっており、それを正当化するためにかなりバイアスのかかった研究をした、と言う人もいるようです。 ま、でも、本人の動機がどうあったにせよ、性について堂々と語っていいのだ、としたことと、たくさんの人の性生活を調査して公開したことにより、自分は異常なんじゃないか、と密かに悩んでいた人たちを安堵させたというのは素晴らしい功績だと思いますね。映画の中でも、ある女性がキンゼイさんにこんな話をします。 子供が大きくなったので働きに出るようになったら、一緒に働いている女性に恋してしまった。こんな気持ちになったことはなかったのだけど、自分はおかしいと思い、気持ちを抑えてきた。そのためにアルコール中毒になり、夫には離婚され、一文無しになった・・・・・でも、あなたの本を読んで、レズビアンは異常じゃないと思えたので、正直に告白してみたら、相手の女性も私のことを思ってくれていた。彼女と一緒になって3年になるけど、生涯で最高のときを過ごしている。 と言って、キンゼイさんと握手をします(ハグだったかな?)。なんか、このシーンはジーンときちゃいました。普通、誰かを好きになったらウキウキするものだけど、逆に悩んじゃうというのはかなり辛かっただろうなあと思って。 邦題の『愛についてのキンゼイ・レポート』・・・・。これは名邦題なのかコケたのか、良くわかりませんね。というのは映画の中で「愛について研究する気はないのですか」と聞かれたキンゼイさんが、「愛は数字にできない。数字に出来ないものは科学的に扱えないのだ」と言うくだりがあるので、それをそのまま受け取れば、「こんなはっきり愛じゃない、と言っているのに、この邦題・・・・ちゃんと映画観たの?」ということになります。DVDのカバーも、アメリカ版はキンゼイが文字の中に立っているショットだけで、奥さんとベッドに入っている写真は使われてなくて、キンゼイがどういう研究をしたか、というストーリーに重きを置いているように見受けられます。 日本ではとかくほのぼのラブ・ストーリーにしたがる傾向ありますよね。そういうのが受けるんでしょうね。でも、この映画に関して言えば、映画のスタンス自体がキンゼイを善意の人と描きたいがために、奥さんとの間の愛と絆みたいなものを強調しているので、あながち間違った邦題でもないかなと。どちらにせよ、原題の『Kinsey』よりはずっと魅力的なタイトルだと思います。 key Word 映画 愛についてのキンゼイ・レポート ビル・コンドン リーアム・ニーソン ローラ・リニー ピーター・サースガード ジョン・リスゴー ティム・カリー 映画を見て、思ったこと
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Idiocracy
舞台は2505年のアメリカ。2005年に政府の人工冬眠実験に参加、1年で起こしてもらえるはずが、プロジェクト担当者が売春斡旋容疑で捕まったため忘れられてしまい、500年後のアメリカに目覚めてみると、そこはバカばっかりの国になっていた・・・・・
貧乏=バカ、って短絡的過ぎるんじゃないの?と最初は思ったんだけど、だって、金持ちの娘でちゃらちゃらしてどーしょもない女とか、この間の『イースタン・プロミス』のヤクザのバカ息子とかもいるわけじゃない。でもアメリカって実質階級社会だから、頭の良し悪し、というより、「教育を受けられるか否か」は、育ちにかかっちゃってるというのはあり得る。リテラシー・レベル90%以上と言われる日本の人たちには、この観念はわかり辛いかも。それとも昨今は、日本もアメリカの悪い影響を受けているのかしら。 最後のシーンで、2505年のアメリカの大統領になったジョーが "There was a time when reading wasn't just for fags. And neither was writing. People wrote books and movies. Movies with stories, that made you care about whose ass it was and why it was farting. And I believe that time can come again!" 「読み書きをするっていうことは女々しいことじゃない時代があった。人は本や映画を書いたんだ。ストーリーのある映画、誰のケツが、なぜ屁をこくかを考えさせる映画を。そして、その時代はもう一度来る、と私は確信する!」 という大演説をブツのを見て、「これってトレイ・パーカーとマット・ストーンじゃないか」と思った。『サウス・パーク』も、『☆チーム☆アメリカ』も、最後に「この物語の教訓」みたいのがあるじゃない?そしたらこれ、監督/脚本がビーバス&バッドヘッドのマイク・ジャッジだったよ。でもこの人たちって、共通してるよね。なんというか、人間てバカを笑う生き物なんだけど、この人たちは皆、バカを、見てて笑えないくらい辛辣に描く。「ここまでバカだと、笑えない」というレベルのバカなんだけど、でも良く考えると、実際いたりとかさ〜。 この大統領の演説の中のケツ云々の下りは、2505年のアカデミー賞受賞映画が『Ass(ケツ)』というタイトルで、ケツのドアップが延々屁をこく、というものだったので、これからは少なくとも、誰のケツで、なぜ屁をこくかから始めようと言う、涙モンの演説なわけです。 それから「fag」というのを私は「女々しい」と訳しましたが、本当は「ホモ」って意味で、要するに日本では「男が女っぽい」っていうのはかっこ悪い、とされるが、アメリカでは「ホモっぽい」ということがカッコ悪いことなのだな。 この表現とか、人気番組がモンスター・トラックが戦うものとか、とにかくキンタマ蹴り上げる番組とか、バカっぽいものって男性的なものとして描かれているよね。女っぽいものでバカなもんてないんだろうか?テレフォン・ショッピングとか、整形とか。ああいうのはモンスター・トラック・バトルよりはちょっとは知的なのかな。 あと、人間のIQがどんどん下がってくる過程で、過去に存在した科学者たちが、それに対して何かできていたかもしれないのに、禿を直す発毛剤と、バイアグラの研究ばっかりに時間を費やしていた、という下りがあって、ボートックスとかやせ薬とかはどうなんだよ!と思った。良くも悪くも女性の存在を完璧に無視した映画ですなあ。まあ、バカを描く映画で無視されるってことは、女の方が知的だ、と思っていいのかもしれないが。 って色々考えてみると、この映画って色んな意味で差別的だなあ。まあ「Politically Correctness」から一番遠いところにある映画なので、そんなことを云々しても始まらないのですが。というか、きっと製作者が狙っているオーディエンスが、まさにケツが延々屁をこく映画を観て「面白い」と思う輩とか、モンスター・トラックやキンタマ蹴りの番組で盛り上がれる人たちに、それを見ている自分を客観的に見たらどんなにバカっぽいか、そして、読み書きできないお前みたいな人間ばっかになったら、世の中ファンクションして行かないんだよ、と言いたいのだろうけど、多分、当事者たちはこういうの見ても、自分たちのことだと思わないんだろうなあ。 key Word 映画 イディオクラシー ルーク・ウィルソン マヤ・ルドルフ ジャスティン・ロング 気になる映画
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Eastern Promises
『ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス』でマジおしっこちびったので、同じクローネンバーグ/ヴィゴ・モーテンセンのコンビのこの映画、どんなヴァイオレンスが出てくるのだろうと覚悟していたのですが、意外にグロいシーンがなくて、拍子抜けしました。
刺客は不気味な三日月形のナイフで襲ってきて、刺青ビシバシのヴィゴ兄貴の身体に切りつけたりする!ああ!やめて!兄貴!と顔で手を覆うが おお!兄貴のタオルが落ちた! いや、でもきっと、上手いこと見えないように撮影してあるに違いない。まさかモロフルってこともないだろう。ああ!怖い!ナイフでぐさっと!目を覆わなきゃ、と思った瞬間、ヴィゴ兄貴のフルチン・サイドキック!!!!! 丸見えだ!! ここからは、どんなに怖くても兄貴の股間凝視。おかげでこのヴァイオレンス・シーンは堪能させていただきました。兄貴ってば、私のようなヴァイオレンス苦手な女性にこのシーンを見てもらうために身体を張ったのでしょうか?それなら大成功でしたぜ、兄貴! このヴィゴ兄貴演じるニコライは、ロンドンを席巻するロシアン・マフィアの大ボス、セミョンの息子、キリルのお守りをやらされているのですが、ロシアからの移民として生きていくのは楽ではないと、なんでもやって生き残ってきたようなタイプの男で、大分年下で知能レベルもめちゃくちゃ低そうなキリルに偉そうな態度を取られても、親分のセミョンに忠実に、しかし媚びたりせずにじっと耐え、ちょっと高倉健のような寡黙なヤクザであります。ロシア訛りのつたない英語も迫力があり、ちょっとオールバックが滑稽な感じがしましたが(顔が寸詰まりに見える)、やっぱ、兄貴は渋いです。 しかし、私がこの映画で一番おもろいキャラだなあ、と思ったのはバカ息子のキリルなんですが、このキャラのことを書くのにネタバレなしでは書けないので、以下ご注意を。 キリルは、「俺のことをアル中のホモと呼びやがった」という瑣末な理由で手を出しちゃマズイような同じマフィアの人を殺したり、売春宿でニコライにセックスを強要してそれを鑑賞したり、素行が悪くてやりたい放題で、親父が大物なために甘やかされて育ったどーしょもないバカ息子です。 しかし、ゆえにセミョンの、筋モンの人ってのは地位が上がってくると人間できてきて、素人さんには優しいし、結構穏やかないいおじさんだってのが強調されて行くわけなんですね。だから、バカ息子のキリルのことを心配する気持ちもわかる。 さらに、ロシアン・マフィアがヘロイン付けにして売春させていた14歳の処女をレイプして妊娠させたのは、バカ息子のキリルに違いない、とか思うじゃん。すると、お守りであるニコライがそれを処理するのに、事実を知った助産婦のアンナ(ナオミ・ワッツ)を殺したりするのか、ニコライは堅気の人を殺せるくらい冷酷になるのか、というように、ストーリーのバックグラウンドってか他のキャラの印象が、キリルによってものすごい際立ってくるわけなのですよ。 (この辺から段々マジにネタバレ) ところが、事実がどんどん明らかになっていくと、今までいい親父だと思っていたセミョンがこの女の子を犯した、ということがわかってくる。しかも、そのシーンの描写というのが、キリルが女の子を殴って、レイプしようとしたが出来ず、出来ないのでイライラしてもっと殴った。そこへ親父が現れて、自分で女の子を犯し、キリルを罵倒したと。 しかしセミョンはそれを、周りの印象どおりにバカ息子がやったことにし、ニコライを使って証拠を隠滅する。この辺から、今までのストーリー展開とちょっと趣きが変わってくる。 ここまでの展開がブリリアントなのだけど、もっと上手い!と思ったのがラストに近いシーン。スコットランド・ヤードがセミョンをレイプで挙げるため、赤ちゃんとセミヨンのDNAを比較しようと、セミョンの血を採りにくる。で、これで証明されたら捕まってしまうから、キリルに赤ん坊を殺せと命令したらしく、キリルは、赤ちゃんを病院から誘拐し、いつも死体を流すテーム川のほとりに連れて行く。 が、キリルは赤ちゃんを殺せないんだよ! 「パパ、パパ、殺せないよ、まだこんな小さなバブシュカじゃないか!わーん、わーん」 と泣き出してしまう。ここで始めて、 「キリルって、本当にホモだったんだ!」 と気が付くわけなんですね。要するに、「アル中のホモ」と呼ばれただけで人殺したり、ニコライがセックスしているところをじーっと見たり、女の子をレイプできなくて殴ったりしていたのは、コイツが残虐だからじゃなくて、逆に繊細で、また自分が同性愛者であることを恥じていたために出た行動なのよ。 考えてみれば、床屋の殺人も人を雇っているし、死体の処理をしたのはニコライで、自分では出来ないのだろうな。しかも、父親のセミョンはそんな繊細な息子を恥じていて、それを知っているがためにキリルは尊大な態度を取っていたのだな、とか思うと、いままでの印象がガラッと変わって、セミョンはいい親父どころかかなり男根主義の、やっぱりマフィアの大ボスなんだ!とひしひしと感じてくるわけです。 それに、キリルはニコライが高倉健のような「男の中の男」なのが羨ましかったんだろうなあと思われる。しかも、キリルはもしかしたらニコライに恋していたのかもしれないんだよね。ニコライが昇進することになったと告げたときのキリルの態度が変で、最初は、嫉みなのかなと思ったけど、ネタが割れてから考えてみると、ああ、ニコライに惚れていたのか、と思う。 とにかく、キリルって、ヤクザの親分の甘やかされた息子、という結構月並みなキャラであるにも関わらず、すごく複雑なキャラに仕上げているし、またそれがあるからこのストーリーが面白いという、映画的に素晴らしいキャラだと思いましたね。 まだ最後の大オチはネタバレしていないのですが、それは映画を観てください。 key Word 映画 イースタン・プロミス デヴィッド・クローネンバーグ ヴィゴ・モーテンセン ナオミ・ワッツ ヴァンサン・カッセル アーミン・ミューラー=スタール 気になる映画
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The Squid and the Whale
もーこの親父、最悪。こういう人と結婚したり、こういう人が親だったら、本当、最悪なのだが、これがまさにその最悪の状況に置かれた人たちの話です。
「僕とママ、君とパパ、の対決」 と流れ、テニス・コートではこっちにママ(ジョアン)とフランク、あっちにパパ(バーナード)とウォルトがいる。 全くこの父親のバーナードは、家族でやっているテニスなのに、闘争心むき出し。自分と組んでいる長男に 「母親のバック・ハンドを狙え」 なんて指示したり、次男のサーブがアウトだと言い張ったり、挙句はテメーで母親狙って思いっきり球打って、怒らせたり。 次のシーン、子供たちの会話で、実はジョアンもバーナードも作家なんだけど、ジョアンの方は段々売れてきているのに、バーナードは全く売れず、大学の教授(講師かもしれない)でなんとか食いつないでいるらしい。長男のウォルトが 「ママは本物の作家じゃない。パパは本物だ。ママは、パパに感化されるまで、書いたことなかったんだから」 なんて言っているのを聞くと、バーナードがしょっちゅうそう言っているのだな、なんてことがわかる。 弟のフランクはママ派なんだけど、それだけでなく、この子は余り物事に先入観がないらしく、「ママの方が優れた作家なのかもしれない」とか、父親がバカにする、芸術に興味のない体育会系の人たちでも、面白い人はいる、と思ったりする。 ママは、ローラ・リニーが演っているんですが、かなり共感するキャラですね。設定が1986年なので、丁度ヒッピー文化の真っ只中に青春期を迎えたのだと思うのですが、かなり性的に開放されているようで、子供にもその手の話はガンガンしちゃったり。しかし彼女が浮気していたのは、フリー・セックスを信奉しているからではなく、バーナードが自分の才能を認めてくれないばかりか、売れないことで卑屈になっていることに耐えられなかったからだと思います。 結局この二人は離婚することになるのですが、面白いのは、ジョアンは浮気したことをバーナードに隠そうともしなかったらしい。というか、わざと知らしめるように、手紙や映画の半券を見えるところに置いといたりした、という口論があるのですが、これってなんなんだろう、と思ったら、復讐なんですね。ジョアンはバーナードが作家としてのライバル心むき出しにしてくることが嫌いだったと思うのだけど、だからさっさと別れよう、というんじゃなくて、浮気して苦しめる。 バーナードの方は、すっごい離婚したくないみたいなんだけど、これってさー、この人、人のこと批判したり見下したりするけど、自分はこの家族を失ったら何もない、ってことがわかっているからなんだよね。もう別居し始めてからまたジョアンのところに来て 「家事をやったり、ご飯作ったり、なるべく一緒に過ごすように努力したけど、それじゃだめなのか?」 と言うとジョアンは、 「あなたがいつご飯を作ったの?」と言う。するとバーナードが、 「君が具合悪かったとき」と言うとジョアンが 「あれは私が作ってと懇願したから、やっと作ったんでしょ?」と言う。するとバーナードが、 「・・・・じゃあもっとご飯を作ったら、別れないで済むのか?」と言うするとジョアンは・・・・・ 笑い始めてしまうのだ!! この気持ち、良くわかるな〜!問題はそんなことじゃないのに、全く気がついてないんだよ、この男は。でもこれってさ、無意識に気がつくのを避けているんだよね、きっと。バーナードは、ジョアンに対する嫉妬や、卑屈になっていることを乗り越えるためには、自分はジョアンより才能なかったんだ、と認めることしかないわけよ。でもこれを認めるということは、自分の人格の崩壊になってしまうわけなんですね。だから自己防衛機能として、認められない。けど、何かしないとこの結婚を救えないので、それ以外のことで埋め合わせしようとする。でもジョアンにとって許せないのはこの一点なので、そこじゃなきゃダメなんだ。あーなんとも難しい。 弟のフランクは、完全に父親の子供依存の犠牲になってますね。アメリカでは離婚のとき、Joint Custodyといって、子供は母親と父親の家を行ったりきたりして、離婚しても2人で平等に面倒みるようにすることができる。私の友達もコレで、娘が週末は彼女と一緒、平日は別れた夫といる。バーナードは、火・水・土は自分で、木曜日は隔週で自分、とか移動する子供たちの苦労は考えず自分に都合にいい決まりを作って、子供が変更したいというと絶対ダメ、という。そのくせ、自分は子供が来ている日にウォルトだけと映画に行っちゃったり、週末に旅行に行っちゃったりしてフランクを置いてけぼりにする。で、フランクはママのところに行くんだけど、ママは、今日は子供といる日じゃないから、恋人といる。 それで、酒飲み始め、学校でオナニーして、精子を図書館の本に擦り付けたりという行動に出る。こういうことする子って、自分の居場所がどこなのかわからなくて、孤独なのだろうな。12歳だから、丁度、性的に目覚めちゃうのと、誰かに自分の寂しさに気づいて欲しい、という気持ちが合体して、こういう行動になってしまうんだろうなあ。でも、こんなことしていても、この子は最初のように、余り物事に先入観もなく、洞察も深く、素直でいい子なのよ。ちなみにこの役を演ってるオーエン・クラインって子は、かのケヴィン・クラインとフィービー・ケイツの息子で、すっごいこの役上手いです。なお、ケヴィン・クラインとフィービー・ケイツは、私の大好きな『殺したいほどアイラブユー』で共演しています。 この物語は、脚本・監督のノア・バームバックのほとんど自叙伝らしい。冒頭のナレーションのせいで、フランクが本人なのかと思っていたら、実は長男の方が本人らしい。この長男は父親そっくりで、父親の言うことならなんでも聞いて、お母さんに辛くあたり、父親似だから屁理屈で尊大で偏見強くて、その割りに才能なくて、超ムカつくガキなんだけど、コイツはPink Floydの『Hey, You』を自分で書いた曲としてTalent Show(学校の文化祭みたいなもの?)で演奏し、加えて宿題もほとんどやっていないことから両親が先生に呼び出され、結局、精神科医のセラピーを受けることになる。 で、最初はもちろん小憎らしいこと言って抵抗するのだが、この子は自分が思っているほど頭良くないので、すぐ色々話始めてしまう。ここで、タイトルにもなっているイカとクジラの話が出てくる。ミュージアムにあった、巨大なイカとクジラの展示。小さいとき、怖くて見れなかったが、うちに帰ってから母親がその展示物の描写をすると、それは怖くなかった。あの頃、母親とは友達みたいだった。あの頃、弟が生まれる前・・・・・ これを聞いて、そうかー、と思った。本当はお母さんが大好きだったんだけど、弟に取られたような気がして、それでお父さん側に着き、愛情を得るためにお父さんの気に入るような子供になった。お父さんは自分に自信がなくて依存心が強いから、この愛情に飢えたウォルトを完全に自分の手下に置こうと、色んな心理的プレッシャーを与えて操った。そう考えると、ただ表面だけ見て「この子キライ」と言えなくなってしまう。この、「やなガキ!」と感じさせて置いてから「この子悪い子じゃないんだ!」と思わせる辺りの流れが、映画的にすっごい上手い。 しかもウォルトは、この一連の離婚騒動を通して、成長するのだ。父親に、もうしばらく父親の家には行かないと言う。バーナードは、いつもの「That hurts my feeling(そんなこと言われると傷付く)」とか「Don't be difficult(難しいこと言うなよ)」とか言って、ウォルトの罪の意識に訴えようとするのだけど、今はウォルトは、こんな父親の本性が見えてしまい、可哀想に思って泣いてしまうのだが、うんとは言えないんですね。そして、ミュージアムに行って、例のイカとクジラの展示を見るところで映画は唐突に終わるのだけど、これはウォルトが、現実に立ち向かう、自分の抱いていた恐怖に立ち向かう準備ができた、ってことを示唆しているのだと思う。 ウォルトはそんな風に出来たんだけど、父親であるバーナードは、ずーっとできなかったんだよなあ。こういうところが、人間って年齢だけで判断しちゃいけない、ってところなのよね。大人うんぬんというより、人間の度量と言うかさ。そういう目で見れば、一番大きいのはフランクだよね。バーナードは度量が小さ過ぎる。 淡々としているんですが、こういう洞察に溢れていて、しかも私のようなアホでもわかる描写、でもタイミングが絶妙なので、押し付けがましくない、しかしインパクトの強いキャラの性格描写のある映画です。特に離婚そのものや、それが子供に与える影響をリアルに描写している。離婚が子供に悪い影響を与える、とか、親の子供への接し方がトラウマになる、とか言われますが、確かにその通りなんだけど、多かれ少なかれ、こういう体験がない人はいないわけで、しかも子供はこういう経験を通して成長できるのだなと思った。私も両親離婚して、トラウマも色々あるので、なんか勇気づけられたわ。 DVD特典のインタヴューでローラ・リニーが 「離婚したからと言って、悪い結婚だったとは限らない」 と言ってたけど、その通りだなと思った。 key Word 映画 イカとクジラ ノア・バームバック ジェフ・ダニエルズ ローラ・リニー ジェシー・アイゼンバーグ オーウェン・クライン ウィリアム・ボールドウィン アンナ・パキン 映画レビュー
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Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull
ケイト・ブランシェットが一体どんな役を演ってんだろ、という興味だけで観に行ったのですが、彼女は泣く子も黙るKGBの、氷のように無表情な女科学者役で、ロシア訛りの英語、表情、動作、髪型、と完全になりきってたんだけど・・・。 さらば、ベルリン』でも、『アイム・ノット・ゼア』でも思ったんですけど、この人マネが上手過ぎて、もうパロディとスレスレなんですよね。なんかほとんど『ボラット』の女版つーか。笑わそうと思ってないから却って可笑しいのかなと思ったけど、『あるスキャンダルの覚え書き』で最後にブチ切れた演技も、実は狙ったんじゃないか、という説もあるので、油断ならないなと。もし、なんか世間が許さない不倫とかして、まともな女優として干されても、異人種モノマネで立派に食っていけると思いました。 それに引き換えシャイア君の冴えないこと。でもねえ、これは本人のせいじゃないよ。まず、この子、不良の役は似合わない。リーゼントにバイクってのが、全然カッコ良くない。つんつるてんのジーンズ履いて・・・。それにさあ、若い俳優さんを持ってきたのは、ハリソン・フォードの肉体的衰退をカバーして、アクション担当してもらうためだと思ってたのに、活躍する場面がほとんどないんだもん。。唯一の見せ場が、ターザンみたいにサルと木のつるべを渡っていくところだもんなあ。今時あんなダサいシーン、ディズニーでもないよ・・・。ケイト・ブランシェットとの剣の一騎打ちもあるじゃん、って言うかもしれないけど、あれはケイト・ブランシェットの方がカッコ良かったし。 いやもー、ホントに、ハリソン・フォードが痛々しかった。だって『最後の聖戦』のショーン・コネリーを彷彿とさせる老け具合なのに、高いところから落っこちたり、床に投げつけられたりすると「大丈夫かな〜」と思っちゃう。この人、インディアナ・ジョーンズ3部作の頃って、マジちょおおおおおおカッコ良かったじゃん。あの「ニヤリ」と笑う、悪そ〜な顔!!!それがさー、なんか冴えなくなりましたよ。老けたというだけじゃない、エネルギーというか、はじけるモンがなくなっちゃった。バカ度?!若さを失う代わりに老練さを身に着けた、てんじゃなくて、普通のおっさんになってしまったな、という。 それに、それにぃぃぃぃ〜!!!!あの『失われたアーク』でヒロインだったマリオンがぁぁぁ〜〜〜!!!!この人すっごい可愛らしくて大好きだったのにぃぃぃぃ〜〜〜!!! 四角くなっちゃったよ! 全く、この映画はどこまでもどこまでも「歳は取りたくない」と思わせる映画でしたね。四角くなったマリオンを見ながら、 「アレがコレになっちゃうんだったら、私は一体ナニになるのだろう?」 という、恐ろしい考えが頭の中をぐるぐる回ってました。この人も、老けただけならまだしも、いかにも現役遠のいていたところを引っ張り出されてきましたって感じの演技で、マジ超ガッカリさせられました。 単に役者たちが老けた、と言うならまだしも、コンセプト自体が古臭く感じて、そこがまたショックでした。昔の3部作はあんなにウキウキしながら観てたけど、 「もしかして、今観たら意外に面白くなかったりして?!」 と一抹の不安にかられました。このシリーズの十八番である、寂れた洞窟とか、暗号とかで開く秘密の塔とか満載なんですけど、ディズニーランドみたいなの。満載っていうより、食傷気味。カーチェイスも、アクションも、豪華なセットや特撮も、必然性が余りないのにガンガン出てくる。 映画好きの友達に、インディ・ジョーンズの新作良くなかったって言ったら、そりゃ、あの伝説の3部作は越えられないよ、って言ってたけど、もうそういう次元のダメさじゃないんだよ。これを撮る事で、何をしたかったのかさっぱりわからない。ノスタルジアに浸れるほどの3部作オマージュも感じられないし、かといって、斬新な切り口でもないしさー。大体、エイリアン・コンセプトって今時古いよなー。タイトルになってる「クリスタル・スカル」は、プラスチックみたいだし。エンディングなんか超バカバカしかったなー。 なんかねー、昔と違って、イマジネーションが貧弱なんだよね。まず素晴らしいイマジネーションが存在して、それを再現するのに多額のお金をかけてセットを作るべきなのだけど、そのイマジネーションが錆び付いてるんだよね。新たに創作したいものが存在しないのに、なんで新作なんか撮ったのだろう? これに比べたら、『ダイハード4.0』の方が全然いい。マクレーンは昔どおりの分からず屋で、80年代のメンタリティ丸出しで今時の若者と接していたり、「ばかやろー、歳とったからってなめんじゃねえ」って開き直って、ノスタルジー全開で。だから逆に、若いサイドキックとほのかな友情が芽生えるところなんかも自然だったりして、それなりのクオリティが楽しめる映画だった。ジャスティン・ロングはハマり役だったし。 これネタバレになっちゃうのかな。ウィキでも大々的に書いてあったから、もうみんな知ってるのかも知れないけど、(この先は注意して進むべし) シャイア君が演じるマットは、ジョーンズ博士とマリオンの子だっていうことを劇中でインディが知らされるわけよ。するとインディは、さほど驚いた様子もなく 「Son, son (息子よ)」 て呼び始めるわけよ。それも不自然だなと思ったんだけど、マットが 「俺はあんたの息子じゃねえ」 って、不良が似合わない上に、ものすごベタな切り返しなんかして、見てる方はシラ〜っとしてしまうのよ。で、それが大冒険が終わった後、マットが、 「これからは、なんちゃらなんちゃらだよな、オヤジ!」 と、太陽をバックにインディのことを父親と認める、という。なんかもう、目が点。しかも、焼けぼっくいに火がついたインディとマリオンは結婚しちゃうしさ。いや、いいよ、それでも。でもそこに持って行くまでの成り行きがおざなりなんだもん。 まだまだ突っ込みどころいっぱいあるんだけど、もういいや。 key Word 映画 インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国 スティーヴン・スピルバーグ ハリソン・フォード シャイア・ラブーフ ケイト・ブランシェット インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国
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I'm Not There
6人の役者が一人のミュージシャンを演じるってのはどんなもんなのかと思ったけど、とってもブリリアントなアイデアでしたね。確かにミュージシャンってのは、アルバムごとに違う顔があったり、時代時代でスタイルが変わっていったりするので、今までのミュージシャン伝記物、例えば『ドアーズ』とかだと、一人の役者さんが若い時から40代くらいまで演じちゃうわけなんですが、それを違う役者に演らせた、というのはブリリアントなアイデアでした。
このトッド・へインズって人は相当ディラン・ヲタだったんだろうなあ、こういう映画が撮れちゃうってのは。コメンタリーによれば、ベン・ウィショー演じるアーサーは19歳から21歳くらいのボブ・ディランをモデルにしてあり、どっかで見たディランのインタヴューの模様をベースにセリフ等をつくったらしい。ケイト・ブランシェットの演じたジュード・クィンは、25歳くらいのディランがモデルで、その頃すっごい痩せて華奢だっったディランを、絶対女に演じさせようと思ってたんだって。ヒース・レッジャーのロビー・クラークは、ディランが書いたラブ・ソングを基にお話を作って、ディランのプライベート・ライフを描いたものらしい。クリスチャン・ベイルのジャック・ロリンズは、プロテスト・ソングばっかり書いてた頃のディランがモデルで、後にクリスチャンに改宗したあとの姿にはちょっと笑ってしまいました。 で、リチャード・ギアとマーカス・カール・フランクリンが演じるディランは、ディランの空想の中のディラン、っていうのがまた、クリエイティブでもあり、「ファンだな〜」と関心させられますね。ギア演じるビリー・ザ・キッドは、ディランが憧れてたキャラで、マーカスのウディは、ディランがニューヨークに出てきたばかりの時、自分は孤児で、旅をしながら音楽を演奏してきたんだ、と嘘ついてた話を基に作ったキャラらしい。いいな〜、自分の好きなアーティストの歌を聴いたりインタヴューを読んだりして、どんどん想像を膨らまして、こんな風に映画にできちゃうなんて。 6人の役者が演じている、というのは、製作者自身が6つの違う人格をディランの中に見ていたということでしょうが、一般のファンでも、ハード・コアな追従者でも、大概アーティストというものに自分の共感できるところを見出して好きになり、それが変化していくのを好まないよね。私も、『Dr.フィール・グッド』までのモトリーは好きだけど、その後は嫌い、とか。 『アイム・ノット・ゼア』の中でも、フォークからロックに変わったときにファンが離れて行ったりとか、身近な人が「お前、変わったな」というシーンが印象的なのですが、本当のアーティストというものは常に変化して行くものなのだな、と思った。一個のスタイルを貫くとか、「これしかできませんから」系のアーティストも、それはそれで尊敬できるものですが、売れたからその路線で行くとか、いくつになっても同じことしかできないとかじゃなくて、他人に受けるとか受けないとか、批判されるとかバカにされるとか、そういう怖さを超越しちゃってる人、その時、その瞬間の自分を正直に、赤裸々にぶつけられるアーティストというのはすげえな、と思うし、製作者のトッド・へインズにとっては、ディランはまさにそういうアーティストだったんだと思う。 key Word 映画 アイム・ノット・ゼア トッド・へインズ クリスチャン・ベイル ケイト・ブランシェット マーカス・カール・フランクリン リチャード・ギア ヒース・レジャー ベン・ウィショー ジュリアン・ムーア 洋画
| トラックバック(0) | コメント(3) | ブログ・レポ | 【2008/05/23 23:41】
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