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Real Women Have Curves
最近金がないんで、図書館でDVD借りてるんですけど、無料で借りられるもんで「思いっきりスベるかも」というような映画も大胆に借りられるようになりました。だから最近私が取り上げる映画ってメインストリ-ムから外れてますよね。でもおかげで思いも寄らなかったような佳作に出会えますよ。この映画も、『Real Women Have Curves(本当の女は曲線がある)』というタイトルが気になってはいたんですけど、エセ・フェミニズムの説教臭い映画だったらムカつくな〜とか思って借りないでいたんですよ。でもタダじゃん!面白くなかったときのバック・アップも何本も借りられるじゃん!ってことで借りてきました。 映画はタイトルにもあるとおり、女優さんたちはみんなデブ、というと身も蓋もないんですが、現実的です。デブの女の子が主人公、とか謳って置きながら、主人公がリヴ・タイラーとか、そういう中途半端なことはせず、ほんとうにその辺のデブの女子高生拾ってきたかのような配役です。 でも、そんな子を「ね、太っててもきれいでしょ?」と説得しようと言う押し付けがましさは一切なく、「太ってても幸せになれるのよ」というような非現実的なシンデレラ・ストーリーもなく、あくまで現実的。 女の子の太り具合だけでなく、彼女の家族のありかた、どんな家に住んでいるか、父親の職業は、という描写がいちいちリアル。 私はアメリカの人間ドラマ系って時々すっごい違和感感じるんですよね。家族もんとかさ。白人家庭で、お父さんはシナリオ・ライター、お母さんは舞台女優とかいうアーティスト系の家庭とか、お父さんはコーポレートの重役で、おかあさんは弁護士で、買ったばっかりのようなBMWとか乗り回して、同じ階級の人たちのホーム・パーティに御呼ばれして、「あり得ねーよ!」みたいな。私の生活レベルではこういう人たち存在しないので、この人たちが結婚や家族のことで悩んでいても他人事って感じで。しかも奥さん役がニコマンとかジョリ姐とかだと、さらに現実味ないじゃん。っていうのはこの人たち、セレブになってマスコミに私生活露出し過ぎちゃってるんで、そっちのイメージがキャラのイメージを食っちゃうじゃない。 この映画では主人公のアナは高校3年生で、大学に行きたいのだけど、お母さんに反対されていて願書も出していない。お姉さんのエステスが細々とやっている裁縫工場を手伝わされる、高校生活最後の夏休み。 アナはメキシコ系の一世で、メキシコ人街の、平和そうではあるが雑然とした地域に住んでいて、ハリウッドにある高校まで、バスを2本乗り継いで行かなくてはならない。でもこのごみごみ窮屈な町、チェーン店が一軒もない目抜き通り、というのをすごい羨ましいと思った。 しかし、アナの家庭は、ものすごトラディショナルなメキシコ人家庭らしく、特にお母さんがすごい。つか、お母さんがすごいのがメキシコのトラディショナルな家庭らしいのだが(特典のインタヴューで、お父さん役の人が言ってたから本当なんだろう)。 まあ平たく言えば、アナのお母さんは、女は結婚して子供生んでなんぼ、勉強なんかできたってしょうがない。高校出たらエステスの裁縫工場を手伝って、家族を助けて、もっと言えば年とった母親を助けて、家族で仲良く暮らせればいいんだ、と考えているわけ。で、アナのこと「おでぶちゃん」と呼び、「男に好かれるようにやせろ!」なんて言うんだよ。 アナは、頭が良かったのでわざわざバスを乗り継いで行かなければならないようないい高校に入れて、先生に「お前は頭がいいんだから大学に行け」とまでいわれる子なんだから、この母親には真っ向から対決しているわけなんですが、アナvs.お母さん、というのが、そのままカルチャー的にも、女性問題的にも古い習慣vs.新しい考え、というののメタファーになっていて面白い。 それと、このお母さんは『イカとクジラ』のお父さんに匹敵する、いわゆる子離れできない親。子供の可能性を潰し、「デブ」「何もできない」などと呼ぶことによって自信喪失させ、自分から離れていかないようにする。また、「家族を捨てて行く」「親不幸だ」などと罪の意識を呼び起こさせることで子供を囲い込もうとする。 これは、私もアメリカに来るとき母親にやられたので、非常に共感しました。でも、私の周りにいる人、友達も何も、みんな母親の味方だったなあ。「お母さん寂しいだけなのよ」とか。私は全くそういう風には思わず、自分の可能性を潰そうとしている母親をマジ嫌いになった。本当に、誰よりも一番遠いところにいる人だなあ、と思った。でも普通の人は、「それでも親なんだし」と許せちゃうらしくて、それが出来ない自分を恥じたりもしましたが、私にはそういう気持ちは全くないということも同時に感じたり。 あと、アナはジミーという白人の男の子とデートし始めるんですけど、これもまたワタクシの持論である、「恋愛はパワーだ!」を象徴していました。ジミーはアナみたいなぽっちゃりタイプが好きみたいなのですけど、痩せてる女がいい女と刷り込まれてきたアナにはにわかに信じがたい。しかしデートして行くうちに心が通じ合い、ジミーとセックスすることに決める。自分でコンドームを買いに行き、「I'm ready」とキッパリ言っちゃうところが色気も何もないなとは思ったのですが、処女を失う、というのは母親に対する挑戦状なのだな、と思った。 アナの母親は処女性も強調していたんですよね。処女で、痩せてて、家事ができて、働き者の女が、なにがしか価値のある女。母親はアナを、そういうものに変えようとしている。でも処女は失うもの、「もうねーよ、ざまみろ!」って感じで、やっぱり女にとって性的に開放されるということが精神の開放で、恋愛というのは開放に突き進んでいくパワーを与えてくれるのだなと思いました。 それから面白いのはアナのお姉さんのエステス。彼女もデブで、多分母親からアナと同じように扱われてきたんだと思うんだけど、29歳で未婚。自分で裁縫工場を営んでいるんだけど、工場ったって10人以下の女性たちが本当にミシンで一枚一枚ドレスを縫っていくような零細企業。ブルーミング・デイルなどの高級デパートで600ドルで売るドレスを一枚18ドルで請け負い、100枚を期日までに仕上げないと金がもらえない、という、ほとんど搾取のような状態。 これをアナは堂々と「高級デパートの奴隷じゃないか。こんな生活はしたくない」という。でもエステスにはこれが唯一自分の持っているもの。アナは、デブでもメキシコ人でも女でも、まだ18歳。夢もあれば希望もある。でもエステスは29歳で、母親にコントロールされた通り家族とともにあることを決め、これから外界に出て行くことはないだろうと思っているはず。こういうビミョーなキャラを置いたことによって、革新的なアナがんばれ!みたいなアナ一辺倒の話にしなかったところも、映画的にすごく上手いと思いました。 最後、アナはコロンビア大学に行き、ニューヨークの街を颯爽と歩いていくところで終わるのですが、女性は精神が開放されてからの方が大変なんだよな〜と思いながらも、素直に「がんばれ」とエールを送りたくなるような映画でした。 key Word 映画 女性解放 フェミニズム アメリカ・フェレーラ いい映画
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Lust, Caution
エッチ・シーンがすごい!と言われていたのでスケベ心で観たのですが・・・・。私はもう少し ぱん!ぱん!ぱん!ぱん! と景気のいいエッチが好きなので、この、トニー・レオンが腰を むにっ むにっ と動かしながらねちねち攻めるセックスは、エロ度からするとイマイチなんですけど、まあ、そんなことはいいとして。
「必然性のないものは演ません」 とかって言ったりするんですけど、『ラスト、コーション』の濡れ場は、必然性どころか、すごい多くを語ってるんですよね。2人の男女がいい感じになって、 「あ、こいつらやっちゃったんだな」 とわかればいいんじゃなくて、どういうセックスをしたか、どんな風にしたのかというのが、本当に重要という。 一番最初にエッチした時は、男が女の髪を引っ掴んで壁に叩きつけたりとか、ベルトでしばいたりとか、 「変態?!」 とか思ったんですけど、映画を全部観終わったあとで考えてみるとあれは、中国を占領している敵国・日本のために働いていて常に命を狙われている男が、誰にも心を許さずに生きてきたのに、どうしてもあがらえない、この女に魅かれてしまう、負けたくない、という気持ちが、あのような暴力的なセックスに出ちゃうのじゃないかしらと思いましたね。「俺がこの女を犯すんだ!俺は絶対に落ちないぞ!」と思いたかったんじゃないか。 で、あんだけヒドイ目に合わされながら、終わった後、「ニヤリ」と笑う女・・・・ この女はですね、大学で演劇部の部長にほのかな恋心を抱いて部員になったという、ウブな処女だったのに、部長が抗日活動にハマって行くのに引きずられて巻き込まれちゃうのですが、持ち前の演技の才能とその美貌のために、この売国奴である政府要人の男を誘惑するスパイにされてしまう。 この女の駆け引きの仕方が、セックスのシーンも含めて、男に近づくために化けたマイ夫人としてのリアクションなのか、ウブな女子大生・チアチーとしての彼女の本当の感情なのか、良くわかんないんですね。で、良くわかんないからセックスのシーンとかでも真剣に分析しちゃうんですよ。 2度目のセックスは、1度目の時より断然親密で、男は暴力とか振るわないんだけども、いつも女の目を見つめながらやってるのは、やっぱ今一歩信用していないようなんですが、よっぽどセックスがいいのか、イク時、完全に防御を下げちゃってるんですよね。女の方は、思いっきり中でされちゃって、自分もイッっちゃったんだか、イヤなのか、どちらでも取れるリアクションをしつつ、 「アパートを買って」 なんてあえぎながら絶妙のタイミングで言うのですが、これがスパイとして言ってるんだか、女としてこの男に陥落されてるのか、わからないんですよ! で、スパイの上司に会って、男がアパートを買うと言った、と報告した時上司が、ここまで潜入できたんだから、すぐに男を殺すのはもったいない、もう少し愛人生活を続けて、色々情報を引き出そうと言うと、女はすごい告白をするんですね。 つまり、男は犯って犯って犯りまくらないとリアリティを感じられない男で、血が出るまで自分を攻める、こいつを受け入れる度に、男は私の身体だけでなく心にまで入り込んでくる、だから、私も疲れて動けなくなるまで男を攻め返す、それがこの男の心に入り込める唯一の方法だから。犯られる度に、いつスパイの仲間が飛び込んできて、こいつの頭を撃ち抜き、脳みそが私の身体に飛び散って、「ああ、これでやっと終わった」と思う日が来るのかと思っている、とか言うわけですよ。 これも最初は、血が出るまで犯られるって女としてはキツイし、早くこいつを暗殺しちゃってよ!と言ってると思っていたのですが、後々良く考えてみると、男が心の中に入り込んでくる、っていう下りは、好きになっちゃいそう、好きになりたくないから、早く殺しちゃって、というのと、好きになりかけている男がいつ殺されるかわからなくて辛い!と言ってるのか、両方に取れるんですよね。 その直後に3度目のセックス・シーンがあるんですが、そこでは女が男の拳銃をじーっと見つめながら上に乗っかっていると、男がそれに気付いたり、女が上になって男をイカせそうになると、男は慌てて上になって攻めたり、で、終わった後女が泣いたりするのですが、これはストレス泣きなんでしょうかね。 私的にクライマックスは、日本人街の芸者屋さん(って言わねーか)のお座敷で、女が男のために歌を歌うところ。やたらロマンチックな歌で、 あなたのハートと私のハートは一つ、辛いときに結ばれた二人は死んでも一緒 とかそういう歌詞で、女が振りつきで歌う。これがこの女優さん、振りの表現とか表情とか、すっごいいいんですけど、男も涙を拭いながら ぱち、ぱち、ぱち と淡白に拍手するところが、もう完全にこの女にホレちゃったな、と思わせるんですね。余談ですが、この時のトニー・レオンがすっげえオヤジ臭くて、私的にはがっかりしたのですが、役柄としてはこれ以上ない、という寂しい中年男を演じてました。 ここで男が女にホレた、というのははっきりわかっちゃうのですが、女の方は、まだ釈然としないんですね〜。この辺のじらし方がまたさらにこの先どうなるのかハラハラさせて上手いんですけども。で、男が女に、この封筒を持ってしかるべき男に会いに行け、極秘だ、男がなにか言ったら俺に伝えろ、っていうんですね。これが「あれ?もしかして女がスパイってバレて、はめられるのか」とか思うと、実は女にすっごい高い指輪を買ってやるという下りだったりとか、こういうはずし方も上手いんですよ。 で、この指輪云々って言うのは、最初の方で男の奥さんがマージャンしながら「うちのだんなはあのダイヤモンドを買ってくれなかった」と言っていたダイヤよりデカい、ピンクのダイヤなんですよね。そういう伏線もさりげなく張ってあったりしていい。あと、原題の『色戒』って言うのは、英語題の『Lust, Caution(欲情、警戒)』という、要するに「欲情に気をつけろ」という意味と、「色の付いた指輪」っていう、ダブル・ミーニングなんだそうです。 このダイヤを指輪に作る注文をして、出来上がったものを男と一緒に取りに来るときに暗殺しようと言う計画なのですが、出来上がった指輪をはめてみて、取れなくなっちゃうんですよね。で、そん時女がなんとか取ろうとして取れなくて、涙ぐんできちゃうんです。 このときでさえまだ私は、「ああ〜この指輪が取れないと、完全にこの男のものになってしまったような気がしてイヤなのかな〜」なんて思っていたのですが、その後女が、 「逃げて」 と言ったときに初めて、「ああ、やっぱり惚れちゃったのか」と思ったんですね。 でもさ、やっぱ女は惚れたくなかったんだと思うんだな。最後、この事件に関わった大学の演劇部時代の友達が一列に並ばされて銃殺されるとき、女の隣に、かつてほのかな恋心を抱いていた部長が座るんだけど、こんな情けないヤサ男と恋愛ごっこしていたかっただろうなあと思った。 しかしアン・リー監督ってのは、あんな顔してすっごいロマンチストだよなあ。現代だったら、女スパイってちゃんと訓練されていて、敵と寝てもケロッとして、自分も楽しんじゃいそうなもんだけど、こんないたいけな処女が百戦錬磨の男を相手に、しかもただ絡め取られてセックス奴隷になっちゃうんじゃなくて、好きになりたくないのになってしまうという。じと〜っとしているところがステキです。 key Word 映画 ラスト、コーション アン・リー トニー・レオン タン・ウェイ ワン・リーホン ジョアン・チェン チン・ガーロウ
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Something's Gotta Give
ジャック・ニコルソン演じる63歳のレコード会社社長のハリーは、20代のの女としか付き合わない、という結婚経験なしの、筋金入りプレイボーイで、新しい彼女のマリンに、週末を別荘で過ごそうと誘われてやってくるのですが、芝居の脚本家であるマリンの母親・エリカも、別荘で脚本書きの仕事をしようとやってきて、鉢合わせしてしまいます。自分の娘がこんなジジイと付き合っていると思うと、エリカは憤りを隠せないのですが、結局その夜は、エリカの妹のゾーイも交えて、みんなで一緒に夕飯を食べる。
ゾーイは「女が63歳で一度も結婚したことなかったら、オールド・ミスなんてバカにされる。ところが男のあなただと、哀れむどころか、独身万歳!みたいにこぞって賞賛する(これは、ハリーのことが「かっこいい独身男」みたいな内容で雑誌に掲載されたことに関して言っているんですけど)。さて、そこで私の姉だが、容姿端麗で、しかも最も成功した劇作家の一人でありながら、50歳過ぎでバツイチなので、毎晩一人きりで寂しい夜を過ごしている。こんなことは言いたくないけど、彼女と釣り合うくらいの歳の独身男たちはマリンのような若い女を選ぶのよ。で、蚊帳の外に置かれた50女は、自分磨きに精を出し、どんどん知的で興味深い人間になっていく。しかし男と言うものは−みんな知っている通り−知的で興味深い女を怖がるのよ。特に年齢のいった男は・・・。明らかに50女は最も不幸な層だと思わない?」 これでこの夕飯はぶち壊しになってしまうのですが、これを観ているお茶の間もいやーな空気が漂いますよねえ。これは大学でウーマン・スタディなんかしているゾーイが、感情的になって言ってるんじゃない、The Matter of fact(単なる事実として)ちょっとジョーク交じりに言ってるっていういう設定にはなってますが、要するに年齢を重ねた女性は知性的で非常に面白いのに、男はそれを愛でるだけの脳みそがないから、若い女のケツばっかり追っかけまわして、おまけに世間はそういう男を容認するどころか、かっこいいと褒め称えているってどうよ!と言ってるわけなんですね。 こういう映画をアメリカでは一般にChic Flickと呼んでいるんですが、これは映画に対する蔑称ですね、普通。「女が好きそうな映画」「女向けの映画」ってことで、男はすっごい観るの嫌がるのですが、何でかって言うと、Chic Flickってのは、上記のようなことを映画開始から30分でフランシス・マクドーマンドみたいな女優に言わせといて、あとで回収しないんですよね。つまり、年齢のいった女って、こんなに魅力的なのよ、それに気が付かない男の方が不幸でしょ?みたいな、最後に何らかの形で納得させてくれなかったら、「あーまた女どもがなんか文句言ってる」って思われちゃうわけですよ。 で、キアヌ・リーヴス演じる医者のジュリアンは、女性の知性を愛でることが出来る、非常に数少ない素晴らしい男として描かれているわけなんですね。彼は芝居が大好きで、エリカの脚本の大ファンで、「僕は君の知性を恐れたりしない」とか思いっきりセリフにも出てくるくらいなんですから。しかもエリカより20歳も若い36歳で、超イケメンで、しかもドクターですよ!本当は50女は、こういう男に愛されるべきだ、と言っているんでしょうか? でも、ジュリアンがエリカに魅かれる動機が今一はっきりしないんで、説得力ないんですよね。彼女の作品のファンだからって、恋に落ちると言うのは違うでしょ?唯一これかな、というシーンは、エリカが電話で友達と無邪気に話しているのをじっと見ているジュリアンが、「この人、可愛い人だな」という感じで 「フッ」 っと笑い、エリカをディナーに誘うんですね。その後、ジュリアンはディナーの席で、自分は同い年くらいの女に興味がないわけではないが、魅かれる相手がいない、エリカ、君はセクシーだ、とか言って、首筋にキスして、 「君がいい匂いがする、っていうのはわかっていたよ・・・・」 って言うんですけど、なんかコレを聞くと、ジュリアンは加齢臭とかが好きな「熟女好き」なんじゃないか?!と思えてくるんですね。 しかもエリカって人は、 「これは・・・・石鹸の匂いよ・・・」 なんて、すっごいベタな謙遜しか出てこなくって、「こいつ本当に知的なのかよ!?」と思えてくる。頭いいんだったら、ちょっと実生活でマネしたくなっちゃうよな、かっこいい切り返ししてくださいよ、って感じです。 で、ハリーの方も、エリカを好きになっちゃうんですけど、こっちも説得力ないんですね〜。唯一考え付く理由は、心臓発作やって、ついにテメーもジジイだと認めざるを得なくなったハリーが気弱になっているところを、エリカがたまたま面倒見てあげたから、としか思えないんだよね。しばらく一緒に暮らさなければならなくなったのですから、一緒にいる内に情が沸くってことがある、というのは否定しませんが、そうなると、さっきのフランシス・マクドーマンドが投げた爆弾が不発に終わっちゃうんですね。だって、エリカが知的で面白い女だから魅かれたのじゃなくて、面倒見のいい女だからだったら、遊ぶ女は若い女、家で面倒見てくれるのは古女房みたいな、そういう意識から抜け出てないじゃないですか。 そいでエリカはどうかっていうと、ジュリアンよりハリーに魅かれてしまうのですが、これもまた説得力ないんですよね・・・。ハリーが心臓発作で養生するため、エリカの別荘に滞在し始めてから、散歩に誘ったり、同じ家にいるのにメイルのチャットしたりし始めて、ある日二人とも夜更かしなので、夜中にキッチンで落ち会ってパンケーキを作ることになったのですが、そん時突然エリカが 「私はどうしてこんなにもあなたに魅かれるのかしら」 みたいなことを言い出すのですが、私にとっては寝耳に水、ってか、そうなの?!って感じなんですよ。唯一考え付く理由は、もうずっと男と生活したことなかったから楽しくってハマっちゃった、としか思えないんですね。 邦題の『恋愛適齢期』っていうのは「恋愛に適齢期なんてないんだよ、エリカを見て!恋に落ちて泣いたり喚いたり傷ついたり、50過ぎたってこんなもんよ」という、明らかにエリカが主体のタイトルだと思うのですが、原題の『Something's Gotta Give』っていうのは、「(何か重要なもののために)手放さなくちゃいけないもの」というような意味なのですが、そうなると主人公はハリーなんですよね。 というのはですね、ハリーはエリカに恋するんですけど、独身のジゴロ的生活が捨てきれないんですね。セックスした後エリカが舞い上がって、来年の誕生日に一緒にパリに行こう、なんていうとしら〜っとしてたりとか、「セックスは二人でするもんだけど、寝るのは一人でするもんだ」と、自室に帰っちゃってエリカをがっかりさせたりとか。こんときははなぜかすぐにエリカの寝室に戻ってきて、「一緒に眠ったらどんな感じか試してみたい」なんて言って一緒に寝るんですが、心臓発作の後遺症がどうやら落ち着いたらしく、シティに帰っていいとなるとすっごいあっさり帰っちゃって、電話の一つもよこさない。で、エリカがたまたまシティでハリーを見かけると、若い女と一緒にいる。口論になるとハリーは、 「私は今更、誰かのボーイフレンドになんかなれないよ」なんて言うわけなんですよ。 要するに、エリカはコミットメントして欲しいので、ハリーは独身貴族的な生活をあきらめなきゃならないのですが、全然そこに気がついてないんですね。 そんで、少女のように傷心になったエリカは、ジュリアンとくっついて、ハリーとの情事の一部始終を脚本に書き、芝居は大当たり、ジュリアンも「君が書いた中で最高の作品だ」と絶賛。で、誕生日にはジュリアンとパリに行くんですが、ハリーは、エリカを追っかけてパリに来る。 で、エリカはハリーを取るんですが、ハリーは独身貴族的生活はどーしたのよ、っていう、そこらへんの説明がないんですよ。エリカがここまでハートブレイクだとか散々大騒ぎしといて、ハリーが独身貴族生活をすっぱりあきらめて来た、っていうくだりがばっさり端折られちゃってると、納得行かないじゃないですか。 そんで最後は、マリンが生んだ赤ちゃんを抱き上げて孝行爺と婆になったハリーとエリカって、こんなベタなラストにするんだったら、フランシス・マクドーマンドに爆弾投げさせる必要がどこにあったんだよ!とツッコミたくなっちゃうんですが、まーこのベタな大団円を見ると、この爆弾は単なるスパイス、というか、なんたって「大人のラブ・コメ」ですから、少し箔をつけたかったってだけで、さして意味なんかなかったんでしょうねえ。 要するに、あんまり理由付けのないエピソードを繋げただけの捨て映画だったんですけど、わざわざ主人公を年配の男女に設定したり、フランシス・マクドーマンドに爆弾投げさせたり、高い金払ってジャック・ニコルソンなんて怪優を持ってきたり、それに、キアヌがなかなかチャーミングなんですよ。こんだけ正の要素が揃っているのに、勿体無いですよねえ。あとほんのちょっと脚本叩いてれば、『リトル・ミス・サンシャイン』みたいなちょっと面白い作品になったかも知れないのに。 key Word 映画 ナンシー・マイヤーズ ジャック・ニコルソン ダイアン・キートン キアヌ・リーヴス フランシス・マクドーマンド アマンダ・ピート 恋愛映画・ロマンティックコメディ
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Little Children
サラがブック・クラブで『マダム・ボヴァリー』について語るところがすごい好きで、『マダム・ボヴァリー』をウィキってみた。ブック・クラブで語られる通り、ボヴァリー夫人は結婚生活に退屈し、男と不倫を繰り返し、浪費の末破産し、最後は自殺する人である。サラは、みっともなくても自分の本当に欲するものはなんなのかともがくマダム・ボヴァリーの生き方を、不器用だけど英雄的でさえあると言う。
そんな中で、「典型的な主婦」・マリアンは、不倫とか浪費とか、ボヴァリー夫人の行動がモラル的に間違っている、という視点からどうしても抜けきれず、サラを始めとする他の女たちが共感する、コントロールが効かない部分を理解することができない。マリアンは「(浮気の相手である)男が駆け落ちしてくれると思うの?」と聞く。サラは「ないとは言えない」と答える。 でもサラは本当はわかっているのだ。サラとブラッドの不倫は続かない、続かないどころか発展して行かない。私みたいに恋愛を信じていない者には、サラがどんどんブラッドにのめり込んで行って、ブラッドと奥さんが一緒にいるところを盗み見に行って泣き喚いたりしてバカだなあと思う。よしんば二人が晴天の下に愛し合えたとしても、結局は今のブライアンとの結婚生活と同じ道をたどるのだ。公共プールでの楽しいひと時、午後4時の甘酸っぱい握手を経て、洗濯場や屋根裏での官能的なセックス。それだけでいいじゃん。なぜ上手く行かないとわかっているのに、自分を見失って行くのだ? しかしそれは違うのだ。この映画から私が学んだことは、全く非生産的なものがボヴァリー夫人の言う、"the finer things in life"、すなわち人生に置いては、非生産的なものの方が生産的なものよりステキなものかもしれない、とうことだ。ブラッドの奥さんは人生をそつなく上手に生きることに努力する。太らないようにパスタを食べ過ぎないようにする。無駄なお金を遣わないように支出をチェックする。この人は正しいことをしている。でもなんて窮屈な生き方! サラは自分に正直だと思う。いい母親ではないし、結婚には全然向いてないけど、少なくとも自分に正直だ。マリアンはサラと好対照を成すキャラクターだけど、本当はマリアンだって同じ焦燥を感じているのだ。マリアンはボヴァリー夫人の生き方を認められない。認めてしまうと、自分が必死に築いてきたもの、しがみついてきたものが、自分の噴出すような感情の前にはいかにモロいものかわかってしまうので、見ないフリをしているのだ。ブック・クラブで「きっと私には理解できないのよ」と言うとき一瞬見せる表情に、それは現れていると思う。 こういう人間描写が面白くて5回くらい観てしまったが、観れば観るほど考えることがいっぱい出てくる。女のステレオ・タイプは自分なりに納得したのだけど、性的異常者であるロニーの、この物語に対する存在意義はなんなのかとか、ロニーに執着するラリーとか、サラと浮気するブラッドとか、またはロニーの老いたる母親、はたまたサラの旦那さんなどなど、それぞれのキャラについて知りたいことはたくさんある。そもそも、なぜ『リトル・チルドレン』という題名なのか? で、今原作本を読んでいるところ・・・・ Key Words 映画 リトル・チルドレン トッド・フィールド ケイト・ウィンスレット パトリック・ウィルソン ジャッキー・アール・ヘイリー DVDレビュー
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Music and Lyrics
冒頭の80年代人気ポップ・バンド、その名も『Pop!』のPVにはひっくり返りました。80年代を実際に体験した私には、あれがパロディぢゃなくって、「まんま」だったってことがよぉ〜くわかっているので、余計に可笑しい。
とにかく、そのPVが超可笑しかったのでかなり期待していたのだが、程なくしてあのPVがこの映画のクライマックスだということが明らかになり、段々腹が立ってきた。 アマゾンでカスタマー・コメント見てみたらほとんどの人が「・・・定番のラブコメって感じですが、ヒュー様素敵!ドリュー可愛い!曲が感動的!80年代の音楽好きな人必見!」って書いてあるのだが、みんな、本気で言ってんの? まずみんなが口をそろえて「定番のラブコメ」と言っているところが臭い。私は余りラブコメを観ないので「定番」がどんなもんなのか知らないが、これが定番だったらラブコメが泣くよ!本来なら「定番」というのは、みんなが期待しているところで盛り上がり、期待通りの感動を得ることが出来るものをいうのだが、アマゾンでみんなが言ってる「定番」ってのは月並みな、取り立ててどーこういうことがない、つまらない話、ってことでしょ? それにだな、80年代の音楽好きな人必見とあるが、80年代の音楽に関するリフェレンスなんてほとんど出てこないよ。最初のPVと、その後、アレックス(ヒュー・グラント)が80年代に活躍したアーティストを集めてボクシングさせるという下らない企画番組に誘われるときに、他の出演者、という触れ込みで当時のバンドの名前がちょちょっと出てくるだけじゃん。 80年代のポップ・バンドもそうだけど、中身のないスピリチュアリティをフィーチャーしつつ実はセクシュアリティしか理解できない女性アーティストとかもただ単にパロディ化して笑いを取ろうとしているだけで、音楽業界に関するマジメな洞察とか、80年代ポップ・ファンが見ていて思わず「ニヤリ」とするような知識とかは全くなく、音楽を題材にしていながら題材に対するリサーチに時間も労力もかけてない。そういうことすごく好きな人が製作者側に一人もいない、ということだな。愛がないのだよ! そこへ輪をかけて何、あの曲!いくらなんでもあんなアホみたいな曲がヒット・シングルになるかっ!あの曲の質の低さは、音楽を背景にした話でありながら、製作者側が音楽に全く力を入れていない、要するに「手抜き」ということが良くわかる。 こういうお約束路線のラブコメとか観て文句言うな、っていう意見もあるかも知らんが、それは違うと思うな。ヒュー・グラントとドリュー・バリモアのネーム・ヴァリューに頼っているだけで、脳みそ使わないで書いたようなスクリプトを使っているから、役者が全然輝いてないじゃない。最初にソフィー(ドリュー・バリモア)が登場するシーン、アレックスがドアを開けたら「ハイ!」って出てくるドリュー・バリモアを見てうんざりしたよ。なんか「またか!」っていうかさ。「定番」とか「ドリューらしい役柄」とか言うんじゃなくて、ドリューのキャラそのものに頼り切っちゃって、役者の中からキャラクターを引っ張り出そうという製作者側の意欲が全く感じられないじゃん。ヒュー様もそうよ。散々可笑しな踊りとかだけやらしておいてさ、彼の役者としての資質とかを引き出せるようなセリフも見せ場もないじゃん。 これは「ラブコメだからええじゃないか」という不届きな態度で作られた映画だと思う。こんな駄作を受け入れていいのか!?怒れ!ラブコメ・ファン! Key Words 映画 ラブソングができるまで マーク・ローレンス ヒュー・グラント ドリュー・バリモア 映画レビュー
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The Life of David Gale
死刑が合法で、しかも執行回数が異常に多いことで有名なテキサス州。大学で哲学を教えている教授、デビッド・ゲイル(ケヴィン・スペイシー)は、死刑制度に反対する活動家でもあった。その彼が、一緒に死刑反対の活動をしていた同僚のコンスタンス(ローラ・リニー)をレイプ・殺害した罪で死刑を宣告され、服役している。これまで全くメディアの取材を受けなかったデビッドは、死刑執行の直前に、突然人気誌の女性記者ビッツィー(ケイト・ウィンスレット)を指名し、多額の報酬と引き替えに残りの3日間での独占インタビューをしたいと言い出す。ビッツィーはデビッドの有罪をこれっぽちも疑っていなかったのだが、話を聞くうちに冤罪を確信し、色々調べ出す。
そういう意味ではローラ・リニーも同じですね。この人は笑うとへろへろな顔になるのに、なぜか大学教授とか、弁護士とか、キャリア・ウーマンの役が似合う。『エミリー・ローズ』での弁護士役では、スーツがビシバシ決まっててカッコ良かったけど、今回は、服装とかイマイチ気にしない、いかにも学者肌な大学教授って感じで、役作りも上手いよね。そう言えば『ルイーズに訪れた恋は・・・』でも大学教授だったけど、同じ大学教授でもあちらは美術の教授で、もっとソフトな感じを良く出していた。上手い女優さんなのね。 ケヴィン・スペイシーはなんか可哀想だったよ、今回は。すごくいい教授なのだけど、奥さんが浮気していて家を空けがち。小さな一人息子の世話をしながら孤独に耐えている。そんな心の隙に付け入ってきた、ヤリマンで有名な女子学生にパーティで誘惑され、やったはいいが女がレイプだと言い出し、告訴はされなかったがこれが元で大学はクビ、レイピストの汚名を着せられ他の大学にも受け入れて貰えず、街の電気屋で働くハメになり、奥さんは子供を連れて行っちゃって会わせてくれない。 こういう状態でどんどんアル中になって行くわ、服装は汚くなって行くわ、なんか本当に「冴えないおっさん」って感じで、もちろん、役としてはこれでいいんだけど、情けなかった。 私はたまたまジョニ伝でHiroさんが取り上げていたのを見て「ああ、こういうストレートなミステリー・サスペンスが観たい!」と思ったのでかなり面白く観れましたが、映画的にあっと驚くような目新しさはないので、そういうものを期待していたら退屈かも。死刑反対のデヴィッド・ゲイルが今は死刑囚であり、実はハメられたらしい、という展開は社会派ミステリーとしては王道中の王道ですし、このメンツで演ったらまあハズレはないですが。 Key Words 映画 ライフ・オブ・デビッド・ゲイル アラン・パーカー ケヴィン・スペイシー ケイト・ウィンスレット ローラ・リニー ガブリエル・マン マット・クレイヴン 映画レビュー
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